戦後民主主義なるものを批判しつづけた論客の素顔
前回私は、中国南部の広東省深圳市で起こった日本人男児殺害事件をめぐる日中両国の軋みに危機感を覚えながら、立憲民主党の代表選の結果を睨み、自民党総裁選への予感を抱いて、この連載の原稿を書いた。
その後、総裁選の決選投票で石破茂が高市早苗を破って自民党総裁に選出され、石破政権が成立した。石破首相は衆議院の解散総選挙を戦後最短の日程で設定し、総選挙の結果、連立する公明党を合わせても、過半数を割り込む惨敗を喫した。
政治的激動の季節と言えるだろう。この間の事態の推移を私なりに素描してみたい。
自民党総裁選の決選をテレビで見ながら私は、石破が負けた場合の日本の政治を案じていた。高市について、日本初の女性首相を待望する声もあるが、安倍政治を引き継ぐ彼女の強権的姿勢は、平塚らいてうたちの婦人参政権獲得運動に始まる、近現代日本における女性の政治参加への潮流とは異質であろう。もし石破が敗れた場合、彼は立憲民主党代表の野田佳彦らと新たな政治勢力を作るべきではないかなどと、私は思いをめぐらせていた。
石破と湛山との奇縁
ところが石破は高市を僅差で振り切り、自民党総裁に就任した。個々の政治家の現実的な判断の集積であるが、自民党に最低限の良識が残っていたとも言える。靖国神社の公式参拝を明言する高市の政治姿勢が近隣諸国との関係を不安定化させる可能性があること、また高市の推薦人20人のうち13人が裏金問題に抵触する議員であり、時代の政治倫理との乖離を指弾されかねないこと、などへの懸念ということになる。
私は石破について、理念においては見識のある政治家と思ってきた。2021年、私は、東洋経済新報社創立125周年記念イベントで、元朝日新聞主筆の船橋洋一とともに、石破と、石橋湛山について語り合ったことがある。そのトークイベントで石破は、自らが生まれた1957(昭和32)年2月4日が、わずか65日という短命に終わった石橋湛山政権下であったこと、そして父親の石破二朗が建設省事務次官だったときに湛山が建設相臨時代理だったという奇縁から語り始め、湛山の外交哲学は功利主義に裏打ちされていると指摘した。総裁選の直前に刊行された石破の書『保守政治家 わが政策、わが天命』(倉重篤郎=編、講談社)にも、湛山の小日本主義についての言及がある。
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