ペリーの掲げた星条旗が降伏文書調印式でも飾られていた
かつて西部邁は私に、「右翼が親米なんて、こんな戯画的な話はないよなあ」と言ったことがある。軽口のていであったが、そこには日本の近現代史を独特の嗅覚で探り続けた西部の嘆息がこもっていた。日本独自のナショナリズムを追求するはずの右翼がアメリカ的なるものをあえて迎え入れるというのは、普通に考えれば語義矛盾のような態度であろう。しかし、「親米右翼」こそが、戦後の日本では主流なのである。
この連載で私は「真正保守」復権の手がかりを見出そうとしているのであるが、複雑な国際関係のなかで日本の自主独立を志向する「真正保守」とは異なる、「親米保守」と言われる思想的、政治的なスタンスがある。「保守」が、アメリカに身をすり寄せることで成立するという事態は、戦後日本に特有のありようである。そして、この立場は現在において日本の保守の中心を占めている。
「対米従属」という言い方があるように、日米関係は対等とは言いがたい「ねじれ」を内包している。これは歴史的にどのように形成されてきたのだろうか。
アメリカの東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが1853(嘉永6)年に軍艦4隻を率いて浦賀に来航し、砲艦外交によって日本に開国を強いた。アメリカ大統領国書を受け取った幕府は翌年、日米和親条約を締結し、鎖国が解かれた日本は国際社会に歩み出すことになる。
当時は、イギリス、フランス、オランダ、ポルトガルなどの西欧の先進帝国主義国家と、アメリカという帝国主義以前の新興国家が、どのようにアジアへと踏み出すかという時期であったが、この段階でアメリカは、日本に対して帝国主義的な野心を抱いていたとは言えず、捕鯨船の寄港地を確保したいというくらいの関心だったのである。
明治日本が目指したアメリカ
だが日本にとって、自らを開国させたアメリカという存在は大きかった。明治維新以後、近代国家の建設に向かおうとする日本は、その国家モデルとして、まずアメリカ型を目指そうとした。アメリカが南北戦争を経て連邦制国家を作り上げた過程は、日本の明治維新と同時代にあり、明治初期の政治指導者たちは、アメリカという新興国家に渦巻く開拓者のエネルギーに強い関心を持った。
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