『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』(片山杜秀 著)

 先日亡くなった橋本治さんの著書に『恋の花詞集』というのがある。

 戦前から戦後にかけての「歌謡曲」の言葉の中に日本人の思いを読み解く、深くもチャーミングな本だ。

 そして片山さんの「鬼子の歌」を、私はいわばその続編、「日本のクラシック音楽版」と捉えている。

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 まず対象とする作品、作家への「愛」がある。それはマニアとして大前提だ。

 そこから時代の精神、また、対象となる当人達でさえ「そういう事なのか……」と恐らくは唸らせてしまうであろう眼力の鋭さに読者は圧倒されてしまう。

 鬼子の歌――この世には様々なジャンルの音楽が存在するが、中には「ベートーヴェンの交響曲のような音楽を作りたいと思う日本人」なるものがおり、世間の多くがそれを求めているかはわからぬが、「日本の西洋クラシック音楽」としてジャンルの片隅に位置する――それはいつ頃からかといえば、もちろん明治文明開化以降で、名の知れた山田耕筰から現在に至る(仮に新垣まで、という言い方を許して下さい)迄、脈々と、現在では細々と続いている。

 因みに、その長きに渡る「創作通史」が二十世紀の終わりに一旦音楽学者達の手によって編まれ、更にそれを元に詳細なる『日本戦後音楽史』(平凡社)がゼロ年代に上梓された。片山さんはその企図に加わり、戦前から戦後の講和条約辺りまでの時期を担当した。

 この功績は非常に大きく、それによって(初めて)「日本のクラシック音楽」百年余の近代史が成立、見通しのよいものとなった。

 本書はその土台の上にあり(本当は逆で、本書が通史の土台、が正確なのだが)ここでは十四人の作曲家――明治の山田、大正生まれのゴジラで有名な伊福部昭を経て昭和ひと桁世代の三善晃まで――とその作品から縦横無尽に論を展開する。

 私はこれは自分の領域だから、一気に読み通すのだが(にしても文章のドライブ全力感は凄い)、あまり興味のない人にとっても、例えば十三章の「黛(まゆずみ)敏郎のオペラ『金閣寺』」の項は、三島由紀夫との関係、実業界との絡み、日本映画の黄金期、軽井沢の地に日本の前衛音楽が「誕生」した瞬間……等、昭和のドキュメントのひとコマが、片山さんのあの淀みのないラジオ解説そのままにスリリングに語られ、充分に楽しめるのではないか。音楽に喩えると「完成された即興演奏」のような本書は、片山さんがこれまで評論家として活動した三十年間、つまり「平成期」の重要なテキストとして、平成の始めに出された『恋の花詞集』と並んで世に残ると思う。

附記――最後に唐突だが片山杜秀と、かの佐村河内守は共に一九六三年生まれで、私にとってこの二人は両極であり「日本のクラシック音楽」は全てこの枠内に存在すると考えている。

 なおこのことは一度だけ、ここでしか言わない。

かたやまもりひで/1963年、宮城県生まれ。音楽評論家、政治思想史研究者。慶應義塾大学法学部教授。『音盤考現学』と『音盤博物誌』で吉田秀和賞とサントリー学芸賞をW受賞。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞。近著は『歴史という教養』等。

にいがきたかし/1970年東京都生まれ。作曲家、ピアニスト。桐朋学園大学卒。ピアノ協奏曲「新生」、交響曲「連祷 Litany」等。

鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史

片山 杜秀

講談社

2019年1月23日 発売