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「ネットに頼らざるを得なかった」れいわの山本太郎

《2人の太郎の共通点はネットで有権者と信頼関係を作っていったことだ。テレビの取材よりも効果があることがわかる。選挙前から絶えずネットで有権者に語り掛け、今回の得票となった。これを簡単にポピュリズムで片づけることはできない。》

 記事の結びは「参院全国区や東京選挙区などではもう総合デパートのような政党や組織・団体は不要だと示した」である。やはりここでも旧来からの組織・団体に頼る選挙は機能しなくなってきたのでは? という見立て。

 ただ、れいわの山本太郎に関してはネットを活用したというより「ネットに頼らざるを得なかった」とも言える。

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「テレビには映らない」とツイートするれいわ新選組の公式アカウント

 政党要件を満たしていなかった今回、れいわだけを取り上げるのは難しい、というテレビの論理もわかる。しかし一方で思うのだ。私が子どもの頃から好きだったテレビは「いま巷で流行るもの」「人が集まっているもの」に関して抜群の野次馬精神とフットワークがあった。情報の最先端だった。

 今回のれいわ新選組に関しては結党数カ月で寄付金4億を集め、街頭では人を集めるという事実があった。このザワザワ感を(選挙前に)テレビで紹介するのはむしろ「テレビらしい」と思ったのだが……。

5年後も「公平中立、公正の確保」要請は効いていた

 そう考えると思い起こしたいのは5年前のこれ。

「選挙報道『公正に』 自民、テレビ各社に要望文書」(朝日デジタル版・2014年11月28日)

《自民党が在京のテレビキー局各社に対し、衆院選の報道にあたって、「公平中立、公正の確保」を求める文書を送っていたことがわかった。街頭インタビューなどでも一方的な意見に偏ることのないよう求めるなど、4項目の具体例を挙げている。》

 記事には「報道の萎縮を懸念する声も上がっている」とあるが、5年後の今もこの脅し、いや、要請が見事に効いていることがわかる。

©AFLO

 ここでジャーナリズム云々みたいなことは言わない。あえて野次馬精神と呼ぶ。テレビ本来のそれを発揮するならもっと自民党に怒られてもいいのではないか。やっぱりめんどくさい?