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地裁は「葬式ごっこは自殺と直結しない」と評価した

 しかし、地裁判決は、「葬式ごっこ」については次のように評価した。

『葬式ごっこ』については、裕史の死後にその死をいじめによる自殺という観点からとらえる一連の報道の中ではじめて表面化し、教師までが加担していたとして非常に陰湿な出来事であるかのように一般には報道されたけれども、被害生徒が当時これを自分に対するいじめとして受け止めていたことを認めるに足りる証拠はなく……(以下略)

 つまり、被害生徒が葬式ごっこをいじめととらえていたとは言えない、としたのだ。葬式ごっこに教師が参加したことについては、「教師らが右のような生徒らの悪ふざけに参画したことについては、教育実践論上は賛否両論がみられるけれども、いずれにしてもひとつのエピソードであるに過ぎないのであって、これを被害者の自殺と直結させて考えるのは明らかに正当ではない」と述べた。

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 地裁判決は、葬式ごっこに教師が参加したことを「ひとつのエピソード」としてしかと捉えていない。「当時社会問題のひとつとされていたような典型的・構造的ないじめの事例」と見ることはできない、ということである。

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自殺の予見性を認めず

 長期間にわたる欠席があり、休むたびに「通院のために欠席をする」という不自然な電話連絡を自身がしていたことからも、被害生徒が深刻な苦痛に陥っていると教員が考えることはできた。その意味で、安全保持義務があることは認めている。

 一方で、「明白に自殺念慮を表白していたなど特段の事情がない限り、事前に蓋然性のあるものとしてこれを予知することはおよそ不可能」と、自殺の予見性は否定した。いじめの発生やいじめによる苦痛と自殺とは「別個のこと」という判断だ。

 この判決を不服とした遺族は、91年に控訴した。94年5月、東京高等裁判所は、判決でいじめの評価を一部見直した。地裁判決よりも、「葬式ごっこ」をいじめと認定した。そして、葬式ごっこについても、「そのような自分を死者になぞらえた行為に直面させられた当人の側からすれば、精神的に大きな衝撃を受けなかったはずはないというべきであるから、葬式ごっこはいじめの一環と見るべきである」と評価を改めている。