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——人種間の負担が不均衡な政策や法律の例を教えてください。 

貴堂 ドキュメンタリーで取りあげられている一例をあげると、80年代に始まったクラック・コカインの取り締まり強化でしょうか。

 パウダー状のコカインと、結晶状のクラック・コカインに実質的な差はあまりないのですが、白人社会で流通している前者より、黒人社会で流通している後者のほうが量刑がずっと重いんです。 

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 こうした米国の刑務所での大量収監の背景には、奴隷解放後に囚人がインフラ整備に駆り出されたのと同様、刑事司法と刑務所の建設・運営を担う民間企業の利益が合体した刑務所産業複合体があり、経済的動機も絡んだものだったという指摘があります。   

「黒人よりもアジア系が差別されている」の危険性

——BLM運動に対する日本での反応で気になったものに、「米国では黒人よりもアジア系が差別されている」というものがあります。 

貴堂 それは認識が間違っていると思います。どちらがより差別されてきたかを論じることほど無意味な議論はありません。 

 さきほど黒人差別の歴史の対照的な語りとして「移民の国」アメリカの歴史を紹介しました。しかし、移民もまたアメリカでは排外主義、暴力の対象となってきました。

 まず知っておいてほしいのは、建国直後に制定された1790年の帰化法で、市民権申請できるのは「自由な白人」のみと規定された点です。市民の定義からしてアメリカは人種差別的だったのです。 

 最初のアジアからの移民である中国人が太平洋を渡ったのは19世紀の半ば頃です。アジア系移民はその後順調に受入が進むのですが、カリフォルニアの排斥運動の影響を受け1882年に「排華移民法」ができると、中国人移民は非白人扱いとなり「帰化不能外国人」とされました。

アメリカ国勢調査(センサス)での人種分類(貴堂 『移民国家アメリカの歴史』62-53頁)。アジア系は「中国系」「日系」などすべてのグループが人種カテゴリーとして扱われた。「中国系」の初登場は1860年、「日系」の初登場は1890年。

 その扱いは日本人移民にも適用され、一世の日系人は1952年のマッカラン=ウォルター法制定まで市民権がもらえずに苦労しました。日本でもよく知られている通り、日本人移民に関しては第2次世界大戦時に強制収容を経験することになりました。 

「異人種間結婚禁止」が持った意味

——米国では「異人種間結婚」が禁止されている時期もありましたね。   

貴堂 異人種間結婚も、直接の暴力とは違うレベルで作られた、米国の人種差別を語る上で欠かせないポイントですね。一時期は全米のほとんどの州で白人と黒人の結婚を、州によっては白人とアジア系、白人と先住民の結婚を禁止する法律がありました。 

 第2次世界大戦の終わり頃からそうした法律は徐々に撤廃されていきます。ヒスパニックやアジア系の多い西海岸は比較的早期に撤廃されますが、南部では20世紀末まで異人種間結婚禁止法が残っている州もありました。アラバマ州にいたっては、2000年にようやく撤廃されました。 

州別の異人種間結婚禁止法撤廃の時期。異人種間結婚禁止法が制定されてなかった州が茶色、1958年前に撤廃された州が黄色、1958〜1967までに撤廃された州が青、1967年以後に撤廃された州が赤であらわされている。