また、光明日報は、一部の幹部が「疫病を前にして責任を負うことを恐れ、困難に直面すると退き、リスクには尻込みする」と指摘するなど、当時は各メディアが地元幹部の不作為を批判している。中国では具体的な失策についてメディアが当局の幹部を袋叩きにするのは珍しい。
こうした批判に対し、当時の武漢市の市長は国営テレビの番組で、情報提供の遅れがあったことを認めた上で「情報は権限を与えられなければ公表できない」と釈明した。上部機関からの許可が得られなかったことを示唆しているが、一体どのレベルで実際の感染状況を公表しないという判断がなされたのか、今もって謎なのだ。
習主席自ら「欠点と不足」を認めていた…いつの間にか自画自賛に
2月3日には、中国共産党最高指導部の会議で習近平国家主席自ら「このたびの疫病は我が国の統治システムと能力に対する大きな試練だ。我々は必ず経験を総括し、教訓を学ばなければならない」「今回の疫病対応で露わになった欠点や不足に対し、国家応急管理システムを強化し、危機処理能力を高めなければならない」と、初動の対応に落ち度があったことを認めている。
人から人への感染があることを認め、国が全面的に関与するようになってからの対応は確かに果断だった。今でこそ世界の各都市でロックダウンが行われるようになったが、当時、人口1000万人規模の都市の封鎖や、大量の重機を投入してわずか10日間の突貫工事で病院を建設する、などといった政府の号令一下による即決対策には誰しもが驚いた。泥縄式に法律を作るところからのスタートだった日本が学ぶべき点も多い。
初期対応に問題があった地方の幹部を大量に処分し、中央政府が本格介入して以降、中国は一連の対応を強調し、“成果”の自賛に転じた。しかし、初期対応の責任は中国政府にもある。
中国政府は1月3日からWHOに情報提供を始めていることなどから、初期段階からある程度は国も関与していたはずだからだ。また、地方の幹部が保身のためにネガティブな情報を上げない、といった構造的な問題について何らかの総括や改善が行われたのかどうかも不明である。
やがて感染が世界に広がり、アメリカ政府などから“中国責任論”を指摘されるようになると、こうした初期対応の真相は一層うやむやにされていく。新華社は3月4日に「世界は中国に感謝するべきだ」と論評した。初期対応の問題点を検証し、教訓を得ることよりも、中国の体面を守るための対外宣伝戦に力点が置かれるようになったとみられる。こうした変わり身に違和感を持つ中国人も少なくない。
【執筆:FNN北京支局長 高橋宏朋】