文春オンライン

「執務室で抱いてくれと言って体に触った」セクハラ疑惑のソウル市長自殺をめぐる「3つの謎」

2020/07/14
note

朴元淳とはどんな人物だったのか

 では、次期大統領候補とまで言われた朴元淳とはどんな人物だったのか。韓国で報じられている言葉を借りれば、彼のイメージは「人権派弁護士」、そして「市民団体の父」だ。

 1956年、慶尚南道で生まれ、ソウル大学に入学するも学生運動を理由に除籍され、檀国大学史学科に入り直す。1980年に司法試験に合格。検事を経て弁護士となる。司法研修生時代、3歳年上の文在寅氏(現大統領)と同期生となり、2人の付き合いはこの時から始まった。

文大統領とは司法研修生時代に同期生だった ©AFLO

 朴氏の名が世の中に知られるようになったのは、弁護士活動と同時に、社会運動を精力的にこなしていたことによる。

ADVERTISEMENT

 彼は1988年の「民弁」(民主社会のための弁護士会)創立メンバーで、ハンギョレ新聞論説委員、市民団体「参与連帯」の事務処長、「挺対協」(韓国挺身隊問題対策協議会)諮問委員を務めるなど韓国の進歩系運動を中心になってリードしてきた。

 とくにセクハラ、性暴力問題に大きな関心を示し、一般的なセクハラ問題に留まらず、慰安婦問題にも大きく関わってきた。それゆえに、セクハラの末に自殺したという報道が国民に与えた衝撃は大きかった。

 朴市長は、参与連帯のほか、市民団体「歴史問題研究所」、政策シンクタンク「希望製作所」といった団体を設立したということでも知られているが、これらの団体に籍を置いていた人たちの多くが文在寅政権の大統領秘書室、長官等の中心的な役職に抜擢されている。

 中でも参与連帯で幹部を務めた曺国前法務長官をはじめ、青瓦台政策室長、女性部長官、金融監督院長、公正取引委員長などを参与連帯出身者が占め、その躍進は際立っている。現政権を「参与連帯政権」と呼ぶ人もいるほどだ。参与連帯の実質的なリーダーだった朴市長の影響力は言わずもがなである。

「女性国際戦犯法廷」では韓国側の検事役

 彼には英国、米国留学の経験があるが、実はその英米よりも多くの接点を持っていたのは日本だ。

 彼は日本全国を訪れ、NGO活動の視察を繰り返していた。反核、環境、部落解放、アイヌ問題などの各運動について大きな関心を寄せた。その中でも特に「生活協同組合」運動に興味を持ち、韓国で生活協同組合運動を繰り広げたのだが、その際に日本のケースをモデルとして取り入れていたことが知られている。