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 そうした状況で、村山談話と同工異曲の侵略戦争史観にもとづいた解釈を、国家を代表する指導者――しかも“保守のエース”とされた安倍氏が自らの手で固定化させてしまったことは大きく、結果としてナチス・ドイツと同罪の日本、ということを自ら認めてしまったことは、将来的に日本の存在を大きく揺るがしかねません。それだけの重たい行為にもかかわらず、この「危うさ」が充満した70年談話をそのまま軽々に出してしまったのです。日本の主要メディアやリベラル派の反発に加えてアメリカの「圧力」を強く感じていたから、と言われていますが、それならせめて談話を出すのを見送った方が良かったのです。

中西輝政氏 ©文藝春秋

対ロシア交渉で表面化した迷走

「安保法制」成立と引き換えに、政権としての本来の目標や方向性という大きな視点を見失ったことで、政権は2016年以後、急速に一気に迷走を始めました。第2次安倍政権を前期と後期で分けるなら、この曲がり角以降、森友・加計などスキャンダルの噴出もありましたが、それよりも政策自体が短期的な視点と支持率に強くとらわれるようになり、いきあたりばったりの政権運営になっていったことの方が大きかった。その末期的な現象として、コロナ禍が表面化した際、特別定額給付金の金額と対象をめぐる二転三転や、大不評だった「アベノマスク」で、多くの国民がその迷走ぶりに衝撃を受けることになったのです。

 他方、外交面では政権当初からの「地球を駆けめぐる外交」では華々しい首脳外交をくり広げ、国際社会での日本の存在感を向上させ、さらに「TPPイレブン」など、一連の貿易交渉では多くの成果を上げたことは高く評価されるべきでしょう。ただ、佐藤栄作政権の「沖縄返還」などに匹敵する、国家的課題に絡む外交では成果をあげられなかった。

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 とくに2016年以後、上で見た内政面での迷走は、外交をめぐっても次々と表面化していきます。当初はプーチン氏のロシアとの間の北方領土交渉は1993年の東京宣言以降、北方“四島”の問題を解決した“後”に平和条約を結ぶという従来からの「前提条件」を継承して交渉していました。

北方領土をめぐるプーチン大統領(右)との対ロ交渉は安倍首相が安易に交渉テーブルについたことがいまも大きく響いている ©AFLO

 ところが、2018年9月にロシアで開催された国際会議で、プーチン大統領が「今年末までに平和条約を前提条件なしで結ぼう」と唐突に発言。日本側からすれば、先に見た「東京宣言」で北方“四島”が領土問題の対象ということをロシアに認めさせた線からは大幅に後退する物言いでしたが、安倍首相はこの交渉のテーブルに安易に座ってしまい、同年11月のシンガポールでの日露首脳会談で“歯舞・色丹”二島だけを対象とする線で交渉する方針に大きく転換してしまいました。