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EXILE/三代目JSB 小林直己がいま考える「高校生の私が村上春樹で救われたワケ」

小林直己が『一人称単数』(村上春樹 著)を読む《幻の“もう一つの書評”特別同時公開!》

2020/10/03
note

本誌未掲載 もう一つの「幻の書評」

 前頁までが「週刊文春」本誌に掲載された書評だ。

 そして、こちらが本誌には掲載されなかった「もう一つの書評」である。

©杉山拓也

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 出来事の中には、誰の記憶にも残らなくても、自分には大切なものがある。静かに人生を支え、救ってくれるもの。『あとに残すためには、人はときに自らの身を、自らの心を無条件に差し出さなくてはならない』(「石のまくらに」)。それだけが、肉体や時間を超え、誰かに届くと私は信じる。

 読書は、もしかしたら意味がない。クイズのような明確な答えはない。だが、読みながら、自らを振り返り、生きるはずだったかもしれない、もう一つの世界を夢想できる。『これまでの人生で、説明もつかないし筋も通らない、しかし心を深く激しく乱される出来事が持ち上が』(「クリーム」)った際に、読書を通じて積み重ねた時間だけが、対抗することができるのだ。自らを慰め、傷を癒し、朝日を待つことができる。

『曼荼羅の図柄を言葉で説明することができないのと同じように。僕に言えるのは、それは魂の深いところにある核心にまで届く』(「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」)この短編たちは、様々な角度から読者を照らす。高級なチョコレート・ボックスのように。

 三十代も半ばに入り、過去の記憶と生きている、と実感する時が増えた。ときに、目の前にいる人や出来事をないがしろにしてしまったり。しかし同時に、耐えられないようなことでさえも、記憶を引っ張り出し、生きていく力を思い出すこともある。『あるときには記憶は僕にとっての最も貴重な感情的資産のひとつとなり、生きていくためのよすがともな』(「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」)り、人生を歩んでいく。

 人生は、その時代の写し鏡となる。少なからず社会の中で生きる私たちは、時代の潮流の中で自らを育む。『人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく』(「『ヤクルト・スワローズ詩集』」)という姿勢は、この社会を、肯定も否定もせず、ただ寄り添い生きていく、という方法を提示する。著者の小説の主人公の性格にそれをいつも感じる。

 著者の悪の表現は怖い。なぜなら、魅力的で惹かれてしまうから。悪は、人によっては甘美な味わいを持ち、不幸だけを運ぶのではない。『僕らの暮らしている世界のありようは往々にして、見方ひとつでがらりと転換してしまう』(「謝肉祭(Carnaval)」)のだ。悪でさえ、人と人を結びつけるのであれば、『愛というのは、我々がこうして生き続けていくために欠かすことのできない燃料であります』(「品川猿の告白」)と語る猿に、私たちは何と答えることができるのか。

 日常から、非日常に突然放り込まれた私たち。『私が鏡の前に立って感じたのはなぜか、一抹の後ろめたさを含んだ違和感のようなものだった』(「一人称単数」)ときに、私自身を取り戻す方法は何なのか? 

 八つの短編の読後には、強烈な問いが残る。

むらかみはるき/1949年、京都府生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。長編小説に『ノルウェイの森』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』など、ほか短編集、エッセイ集、翻訳書多数。

こばやしなおき/1984年、千葉県生まれ。EXILE / 三代目 J SOUL BROTHERSパフォーマー。役者としても舞台、映画で活躍中。

一人称単数

村上 春樹

文藝春秋

2020年7月18日 発売

EXILE/三代目JSB 小林直己がいま考える「高校生の私が村上春樹で救われたワケ」

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