不動産業で荒っぽい地上げも
「一代で100億の財を成した」と言われた柏木氏は、中学卒業後、富士山へ荷物を運び上げる強力(ごうりき)で資金を貯め、料理屋を開店。69年に柏木商事を設立して不動産業と貸金業に進出した。
事業で成功した後、河口湖を望む400坪の土地に建てた総ケヤキ造りの豪邸は、地元で「柏木御殿」と呼ばれた。高い白壁で囲われた邸宅を見て、寺院だと勘違いする観光客も多かったという。
「柏木商事は80年代に都心に進出し、バブル期特有の荒っぽい地上げで知られるようになりました。文京区での大掛かりな地上げでは、最後まで土地の売却に抵抗した小売店主の家の私道を塞ぎ、民事提訴されて敗訴。神奈川県では、私立幼稚園の土地と建物を競売で取得し、園児がまだ通っているにも関わらず差し押さえを実行しました」(調査会社社員)
バブルを象徴するような柏木氏の事業
横山大観などの偽絵画を数十点掴まされ、数億円の被害を受けたこともあった。
「表向きには順風満帆でしたが、80年代後半には所有する不動産群に計100億円を超える抵当権が設定され、事業では欠損が積み上がっていました」(同)
柏木氏の事業は、ある種バブルの象徴だったといえるだろう。
バブル期は、銀行など金融機関系列の住宅金融専門会社(住専)が不動産に進出して杜撰な融資を繰り返した。読売新聞はその1社、日本住宅金融(日住金)の杜撰な融資例として柏木氏の土地購入を挙げている(96年2月1日付け)。
80年代後半に5億1000万円で売買された東京・永田町の土地を、柏木商事が2年後の90年10月に購入。日住金はこの土地購入に際し柏木商事に実に14億円を融資した。柏木氏が刺殺された後、日住金は土地を競売にかけて債権回収を図ったが、評価額(最低落札価格)はわずか約3億円。金をドブに捨てたような融資だった。
バブル崩壊により、住専7社が出した損失は計8兆円。救済のために巨額の税金が投じられている。