きれいごとではなくて素直な気持ち
出所のわからない報道に翻弄されながらも、松中の「まだ野球がしたい」という一念が揺らぐことはなかった。引退、退団と揺れ動く気持ちのなかで改めて感じた野球への溢れる想いが、最終戦での発言につながった。
「19年間ホークス在籍させてもらうなかで、弱かったホークスが強くなり、優勝も何回も経験させてもらいました。ホークスには常に一番強くあってほしいと思っています。
でも僕はそれ以上に野球が大好きで、小さい頃からずっと『野球で一番になりたい』と思っていました。プロになってからも、誰にも負けたくないと思ってプレーしてきました。だから、僕が別のチームに移ったら、まっさらな気持ちで真正面から強いホークスに挑みたい、そして勝ちたい、と思ったんです。
同時に、僕がプロ野球に入ってから19年が経って、若手の頃には確かに存在した『自由な雰囲気』が失われつつあると感じていました。僕は秋山さんや浜名(千広)さんの奔放なふるまいや豪快なお金の使い方を見て、『俺もああいう風になりたい』と思って頑張った世代です。
でも今はどこも管理や規律が多くなって、少し息苦しい雰囲気になっています。それはホークスも同様です。チームの強化には正しい道かもしれませんが、野球には球場を沸かせる選手やプレーが必要じゃないですか。そこで、それまで良くも悪くも自分を通して生きてきた僕が、きれいごとではなくて素直な気持ちを言うしかないと思いました。ホークスが大好きだからこそ、スタッフにも、チームメイトにも何かを感じてほしかったんです。
言葉足らずで誤解を招いたかもしれませんが、王会長やホークスに反旗を翻そうと思ったわけではありません」
「倒しにいきます」の真相は、プロとして勝負に勝ちたいという当たり前の思いと、野球人としての矜持によるものだった。そこになんの後ろめたさもないから、批判されても意に介さなかったのだ。なにより、現役続行するために頭がいっぱいで、立ち止まっている余裕はなかったということもある。
結局、松中の獲得に乗り出す球団はなく、16年3月に引退。今、さっぱりとした表情で「野球人生に悔いはありません」と語る松中は、すでに第二の人生を歩み始めている。
「野球界にはお世話になったので、これから恩返しをしていこうと思います。現役時代から若手によくバッティングを教えて欲しいと言われていたので、指導者として活動していきたいですね。個性をどんどん伸ばして、ファンに喜んでもらえる選手を育成したいと思っています。どこの球団から声をかけてもらっても大歓迎ですが、やっぱりホークスであれば一番嬉しいですね。このオフには、『学生野球資格回復研修会』(元プロ野球選手が指導者として学生野球に復帰するための研修制度)に参加して、高校野球の指導の資格も取ろうと思っています。
もうひとつ、実は今、息子がハンドボールをやっているので、なんとかハンドボールを全国に広めたいと思っているんですよ。福岡のハンドボール協会の人にはいつも言ってるんですけど、どんどん僕を使ってもらっていいから、ハンドボールを盛り上げたい。それも今の僕の大切な仕事ですね(笑)」