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 イ姉妹は所属チームから無期限の出場停止処分を言い渡され、韓国バレーボール協会は「代表から無期限で外す」と発表。ミズノ・コリアをはじめとするスポンサー各社も、次々と契約を破棄した。

「日本ではまだ『韓国の問題』という感じでしょうけど、日本のバレー選手でも『自分がいじめた相手に告発されたら……』とドキドキしてる人はいますよ。上下関係が厳しいことや練習時間が長いことなど、日本と韓国のバレー文化は似てますからね。それに学生時代だけじゃなく、日本代表でさえ人間関係トラブルはありますよ」

 日本でも女子バレー界は体育会系の色が濃く、緊密な人間関係はうまく回っている時はいいが、一歩間違うと一瞬で収集がつかなくなる。

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©JMPA

「吉原知子と竹下佳江は使うなよ」

 例えば、2003年から2008年まで全日本女子の監督を務め、2004年のアテネ、2008年の北京と、チームを2度オリンピック出場に導いた柳本晶一氏の言葉からも、女子バレーのチームをまとめることの苦労が窺われる。

 2019年の9月23日、ラジオ関西の『週明けクマチャンネル』に出演した柳本氏はこんな話をしている。

 柳本氏が監督に就任した2003年、全日本女子は低迷していた。その立て直しを任された柳本氏は、国内の単独チームをベースに代表チームを作る選抜方法から、各チームから優れた選手を呼ぶ形に方法に変えた。その時のエピソードとして「協会からは『君に任すけど、吉原知子と竹下佳江は使うなよ』と言われた」と告白。そして「協会が言うのも無理はないんです。もう時効だと思うから言うけど、高橋みゆきも含め、この3人はホント扱いにくいんですよ」と続けた。

前列右から柳本晶一氏、竹下佳江、栗原恵 ©文藝春秋

 しかし結果的に、吉原はキャプテンとしてアテネオリンピックの出場権を奪還し、高橋は代表のエースに。そして竹下はロンドンオリンピックで銅メダルを獲得するチームの中心選手に成長した。

 協会の意向を無視した柳本の人選は成功したが、苦労も絶えなかった。