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外国人にも行政に関与してもらう制度設計に

 なし崩し的に労働力が足りないから、人口が大幅に減少しているから移民を入れましょうという話ではなく、日本社会に混乱なく受け入れられる移民の数は年間どのくらいで、そのうち何割が日本に帰化して永住してくれて、今後何世代にも渡ってこの国でやっていけるようになるのかを考えなければならなくなったということです。いままでは、外国人が来て地域で問題を起こしたからトラブルを解決しろという流れだったのが、もっと外国人にも日本の行政に関与してもらったり、解決の道筋への努力を彼らにも負担してもらえるような制度設計にしなければならなくなったのです。

 ただでさえ、日本は外国人参政権をどうするのかですったもんだしている状態です。いろんな意見はあるでしょう。でも、例えば犯罪捜査ひとつとっても、外国人が起こした犯罪に対していちいち日本人が一からその国の言語や文化、風習を勉強して理解した警官を捜査の前線に投入しようというよりは、その国の人たちを警察官として雇い、彼らの常識も日本の立場も理解できるような人材を育成したほうが合理的です。

 とかく日本では「高度人材『のみ』受け入れる」というような議論になりがちですが、実際には夫婦が来る、子供の教育がある、家族がやって来る、みな違う個性で異なる背景の持ち主がついてやってきます。高度人材が単身手ぶらで大学教授に収まるなんてことはあり得ない以上、そういう高度人材が「日本で暮らしたい」「我が子を日本で教育したい」と思えるような環境にしないと無理であろうと思うのです。

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「忘れられた公共」を見つめ直すことを余儀なくされる

 逆に、弱い立場におかれた外国人は容易に失業するし、外国人同士、肩を寄せ合って暮らしていくのが自衛の手段だと考えるでしょう。そうなると、先にも述べたとおり、そういう外国人に日本国内での生活の糧がないならば犯罪も増えるかもしれませんし、失業保険や生活保護も多発することになります。いまの日本は、そういう問題を見ないふりすることで、誰かがそれを受け入れ、しわ寄せを押し付けて、問題がなかったことにしているようにも見受けられます。

 そして、そういう問題を抱えるのは行政であり地域です。日本人か外国人か関係なくゴミの不法投棄から異臭、騒音まで、まるっと抱えているのが町内会です。そこへ、育児ネグレクト家庭へのケアやら高齢者家庭の訪問やら、あらゆる「よりよく暮らすための課題」が降ってきます。それまで企業戦士として頑張ってきた人たちが、定年退職して地域活動に入ってくると「こんな大変だとは思わなかった」と皆さんおっしゃいます。でも、本来は企業活動よりも前に地域の暮らしがあり、いままでずっと誰かに押し付けて通勤電車も安全な夜道も当たり前にあるものだと思って暮らしてきたんです。

 超高齢化社会、少子化問題、増え続ける移民、すべては同じ構造の中で起きている諸症状に過ぎません。いまの安全で快適な日本人の生活の基盤は払った税金ですべて賄われていると考えていたとしたら、非常に残念なことです。おそらくは、これからの移民問題は日本人に対して「日本が異文化を受け入れる準備をどうするか」を、忘れられた公共の側面から見つめ直すことを余儀なくされるでしょう。

 私個人としても、大好きな街が私の子供たちにきちんと受け継がれるためにどうするのが良いのか、老いた親の車椅子を押したり、幼稚園に向かう子供の手を引いたりしながら考えることが多くなりました。最適な解なんか、絶対にないんですけどね。

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