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 だが、その後も性懲りもなくプーチンの“メルケルいじめ”は続いた。力を誇示するために、メルケルとの会合に遅れて現れたのだ。遅刻を諌められるとプーチンは、「ああ、君との仲ならこのぐらい普通だろう」と肩をすくめた。

 メルケルによると「(プーチンは)人の弱点を利用する。一日中でも人を試している。やりたい放題にやらせていたら、こっちがどんどん卑屈になってしまう」。とはいえ、プーチンはメルケルを卑屈にさせることはできなかった。

ジャーナリスト殺害疑惑のプーチンへの痛烈な一言

 メルケルも、ここぞというタイミングでプーチンへ仕返をしていたのだ。

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 2006年10月、チェチェン紛争におけるロシアの残忍さを記事にしたジャーナリストが射殺されるという痛ましい事件があった。奇しくもその日はプーチンの54回目の誕生日であり、このタイミングでの殺人は偶然ではないとの推測が飛んだ。

 その数日後のこと。ドレスデン城の前で黒いリムジンを降りたプーチンに、メルケルは不意打ちを食らわせた。集まった報道陣を前にメルケルはこう語ったのだ。

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「あれほどの暴力行為にショックを受けている」「この殺人事件はかならず解決されなければならない」。

 意表を突かれたプーチンは、思わずこう口走った。「あのジャーナリストはロシア政府をこきおろした」「あの殺人がロシアに害を及ぼすことはない」「彼女が書いた記事に比べれば害は少ない」と、まるでその殺人事件の真の被害者が、自分であるかのような支離滅裂な言い訳を並べたのだ。

 プーチンの下で人権侵害と残虐行為が行われていることを指摘したメルケル。歴史が、あるいは国際刑事裁判所が、プーチンの責任を問うかもしれない、とほのめかして牽制し、きっちりと仕返しをしたのだ。

 警察国家である東独で育ったメルケルは、プーチンの狡猾さや冷淡さを身をもって理解していた。だから、プーチンの人間性や良心に訴えることはしなかった。そんなことをしても無駄だと分かっていたのだ。

 メルケルが在任中に遭遇した厄介な男性指導者は、じつはプーチンだけではなかった。プーチンとはタイプが違うものの、やはり民主主義的な価値観とは程遠い人物がいた。アメリカ前大統領のドナルド・トランプである。メルケルは彼との初めての会談を、どのように乗り切ったのだろうか。【続きを読む】

メルケル 世界一の宰相

カティ・マートン ,倉田 幸信 ,森嶋 マリ

文藝春秋

2021年11月25日 発売