1ページ目から読む
2/5ページ目

 視察は検討されたものの、世論の批判を恐れ、結局、見送りとなった。

「解散権が失われる」

 五輪が盛り上がる一方で、感染は深刻さの度を増していく。7月28日には、東京で3177人、蔓延防止等重点措置の対象だった神奈川県で1051人、埼玉県で870人、千葉県で577人といずれも過去最多を更新し、翌日、3県知事は緊急事態宣言の発出を要請する。国会では、分科会の尾身会長が、「この1年半で、最も厳しい状況にある」との認識を示した上で、「国民に危機感が共有されていないことが最大の危機だ」と指摘した。

 このとき、多くの地域で感染者数は急増していた一方で、重症化率や重症者用の病床使用率は、緊急事態宣言のレベルにまでは達していなかった。しかし、専門家は、首都圏や大阪府への緊急事態宣言発出が必要だと主張し始めていた。菅も悩みを深めていた。

ADVERTISEMENT

「きょうも、東京は3865人だが、重症者数はそこまでは増えていないですね」

「そうなんだよ。でも、みんな新規感染者数だけに目を奪われてしまっている。今日も、大阪の松井(一郎)市長から連絡があったけど、大阪は重症者用の病床使用率が2割くらいだから、宣言は出してほしくないと言うんだよ」

「では、大阪には宣言は出さない?」

「いや、出さなければ、専門家はダメでしょう。難しいよね」

 そして、国民へのメッセージを求める尾身について、不平を漏らした。「尾身先生は、ワクチンの効果の話を全然してくれないよね。重症化防止に効果がある抗体カクテル治療についても、まったく触れない。それで『メッセージを出せ』とばかり言うんだよ。でも、もうここまで来てしまったら、収束させるにはワクチンしかないんだよ」

 7月30日、政府は、首都圏の3県と大阪府に対し、緊急事態宣言を8月2日から31 日まで発出し、さらに東京と沖縄への宣言を31日まで延長することを決定する。菅は記者会見で、「今回の宣言が最後となる覚悟で対策を講じる」と語った。この日の記者会見では、いつも以上に声はか細く、悲壮感を漂わせていた。

©文藝春秋

 この宣言の延長について、菅の側近は失望の色を顔に浮かべた。

「総理の頭の中の“日程”が狂ってしまう。このままでは、解散権を失うことになる」

 実は、7月の都議選以後、菅が頭の中で描いていた極秘の政治日程があった。それは、まず東京オリンピックが閉会する8月8日からパラリンピック開幕の8月24日までの間に、自民党役員人事と内閣改造に踏み切り、人事を刷新する。そして、五輪での世論の盛り上がりと新しい人事への期待感を追い風に、パラリンピックが閉会する9月5日の直後に衆議院を解散。衆院選で勝利をした上で、自民党総裁選挙で無投票再選を勝ち取る、というシナリオだった。

 しかし、感染拡大が続く中で、8月中に人事を断行することは不可能となった。そして、菅はかねてから「解散よりもコロナ対策を優先する」と繰り返し公言してきたため、次に宣言を延長すれば、パラリンピック直後の解散も難しくなってしまうのだった。