飛田新地の隣のベトナム食品店は家賃9万円
ほかにも「日雇い労働者の街」として知られるあいりん地区の真ん中にベトナム人向けのネトゲカフェがあるなど、近年の西成区におけるベトナム人の存在感の増大は確実に感じられる。なかでも驚いたのは、飛田新地の入り口すぐの場所までベトナム食品店が進出していたことだ。
「MINH KÔHI MART」(日本語の店名は不明)に入ってみると、店内ではやたらに陽気なベトナム人の男女が、一心不乱にニャン(中国語でいう「龍眼」。南方の果物)を段ボールから商品棚へと移しているところだった。
ハイフォン出身の31歳の店長と、生後8ヶ月の赤ちゃんを抱いて手伝う25歳の奥さんである。店から100メートル歩いた場所では、飛田の「料亭」で働くお姉さんたちが客を取っているのだが、新婚1年目の子連れ夫婦は「店舗の家賃が月9万円だった」という理由で、日本での商売の第一歩をここから始めることにしたらしい。
「西成区はベトナム人いっぱい。僕らが住んでいる花園町のあたりは、ベトナム食品店が5軒くらいあるけど、このへん(あいりん地区と飛田新地付近)はお店がない。みんな出店しないからチャンスだよね。いけるかなと思った」
『じゃりン子チエ』の舞台、移民タウンに変わる
夫婦が暮らしているという花園町周辺は、1980~90年代に関西圏で大人気だったはるき悦巳の漫画『じゃりン子チエ』の舞台・西萩(にしはぎ)のモデルになったあたりだ(筆者は世代的にドンピシャである)。
あと10年もしないうちに、この店で母親に抱かれているベトナム移民2世の子どもが、かつてチエちゃんが暮らした街で遊び回ることになる。下駄履きならぬサンダル履きで、父親の店を手伝う小学5年生になるだろうかと想像すると、不思議な感慨も覚える。
私はこれまで関西圏で、西成区の他にも、大阪府や兵庫県各地のベトナム人コミュニティを見て回ってきた。また、これまでベトナムウォッチングの視点からは調べたことがなかったのだが、大阪の伝統的なコリアンタウンである鶴橋でも、最近はベトナム人の存在感が増しているらしい。
東京とは異なり、関西圏は前近代からの地域の歴史が途切れず濃厚に連続している場所が数多くある。いっぽう、瀬戸内海を通じて中国大陸や朝鮮半島ともダイレクトでつながっている。
複数の実例を見る限り、関西でベトナム移民コミュニティが特に発達している場所には、歴史的に複雑な事情を背負う地域や、戦前から続くマイノリティの居住地域、さらに旧遊郭に起源を持つ性風俗店街などがすくなからず含まれるようだ。
ベトナム街が生まれるいちばんの理由は各地の地価の安さだろう。ただ、こうした移民タウンは図らずして、その土地を過去の複雑な事情から切り離して上書きする役割も担う。コロナ禍と円安に逼塞する関西の地盤の下で、まことに興味深い現象が進行中である。