客も従業員もみんな「逃亡者」
「私もボドイだったよ」
客のみならず、店員の25歳の女の子もそう言った。彼女はホーチミンの東にあるドンナイ省から来日後、奈良県の牧場で技能実習生として牛の乳搾りに従事していたが2年後に逃亡。1年間ボドイとして暮らしてから入管に出頭し、在留資格を特定活動に切り替えてもらったという。
(※コロナ禍の発生で帰国困難者が続出し、さらに入管の収容施設がパンク状態になったことで、日本政府は自発的に出頭したボドイに対しては在留資格「特別活動」を認め、一定時間内の就労も許可するケースが多くなっている。なので、この店の従業員も客の若者たちも、現時点では「不法就労者」ではない)
さておき、私が足を踏み入れたベトナム系カラオケ居酒屋は、宴会を開いている人たちだけではなく彼らを接客する従業員も、大部分の人が「逃亡者」というものすごい店だった。
出国時に多額の借金を背負い、出稼ぎ目的で来日したものの、日本の田舎で低賃金労働に従事させられることを嫌がって脱走。だが、それでも西成の街に潜り込んで仲間を見つければ、それなりに面白い日々──。彼らは異国日本の路地裏で、そんな青春を送っているようだ。
店員さんも他の客もみんな若いのでノリがよく、私にも「歌って!」とマイクが回ってきた。店長(後述)に意見を聞くと、中島みゆきの『ルージュ』がいいという。そこでリクエストしてみると、全員でベトナム語の大合唱とダンスがはじまった。あちらの国民的歌手のニュー・クイン(Như Quỳnh)が『ルージュ』をカバーして大ヒットしたので、誰でも歌えるらしい。
オーナーは福清人、従業員はベトナム人とタイ人と……
「この辺は中国人の店がすごく多いですね。あと日本人の店もある。でも、ベトナム人の店はなかった。だから店をはじめました。ここは飛田新地が近いので、遊びや見物に行った帰りの人が立ち寄ってくれるし、コロナもきっともうすぐ終わりますから、それを見据えて……です」
翌日、流暢な日本語で取材に応じてくれたのが、前夜にベトナム人の宴会が盛り上がっていた居酒屋「思い出」店長のレ・ディン・トアン(38)だ。店では串カツと、揚げ春巻などの簡単なベトナム料理を出す。
「大阪に来てから、ずっと『串カツだるま』の道頓堀店でバイトしていたんです。『だるま』のチェーンでは社長が年に1回くらいしか店舗に来ないんですが、僕の顔と名前は覚えてもらえていて、かわいがってもらいました」
トアンはハノイの東にあるハイズオン省の生まれで、2014年4月に来日。日本語学校と専門学校を経て大阪観光大学を卒業し、アルバイトで貯めたお金で昨年12月に西成の街で、「思い出」と「恋心」という2店舗のカラオケ居酒屋を開いた。
「昨日はベトナム人が多かったけど、普段は日本人のお客さん多いです。うちはぼったくらないし、お酒に変なもの混ぜたりしないから安心だって。お店の花とか、お箸とかは、ファンになってくれた日本の人が差し入れてくれました」
店舗の大家は中国人(福清人)で、1店舗あたりの家賃は月20万円だ。数年前の西成区の水準から考えると、かなり高騰しているのは間違いない。7~8人の従業員は多くがベトナム人だが、タイ人と中国人も1人ずついる混成チームである。客は日本人とはいえ、物件の大家から従業員まで外国人だけで経済が回っているようだ。
場所柄、ここでは書けない大変な話もいろいろあるのだが、それでも経営は順調らしく、今年4月にもう1店舗をオープンした。西成区のカラオケ居酒屋は中国系店舗の70軒に対して、ベトナム系はトアンの3軒と現時点ではまだすくないものの、増加ペースを考えれば3年後くらいには数十軒に増えていても驚かない。