安倍政権では、専門能力を持つ人材に対しては「高度プロフェッショナル制度」の導入や裁量労働制の強化などの規制緩和を進めると同時に、労働時間の上限規制の強化にも踏み込んだ。36(サブロク)協定の特別条項で容認する単月の時間外労働の上限を巡って労使は激しく対立したが、「罰則付きでの時間外労働の上限規制」が実現した。
報道によると、当時、安倍首相は当初子育てと仕事の両立など女性が職場で直面する問題への理解は薄かったという。それが「3年間抱っこし放題」という相当ズレた政策につながっていたのだが、産業界や女性から不評と見ると、一気に女性を労働力として生かす方向に舵を切った。
経営者側に不評だった残業規制も、少子化や高齢化が深刻化する中で、子育て中の女性や高齢者が労働市場に参入しやすい環境を整える意図があった。
企業は総労働時間を厳格に管理するようにはなったが、とはいえ業務量が減るわけではない。DX(デジタル・トランスフォーメーション)など仕事の進め方に大きくメスを入れない残業規制は、残業できない部下の仕事を丸抱えする管理職の負担増や、こっそり残業する「サービス残業」の増加など新たな問題も生んだ。
過重労働に対する規制は厳しくなったものの、本質的な働き方改革に至ったのは、私はコロナという外的要因の方が大きかったと見ている。
資生堂ショックが提起した問題
女性に本当に「活躍」してほしいなら、男性の働き方にこそメスを入れるべきという議論は、法整備と同時に、先進企業では「働き方改革」という形で進んだ。
その一方で、女性の働き方自体に関しても、2010年半ばに新たな議論が起きていた。女性を「保護」「配慮」の対象から「戦力」としてどう活かしていくのか、という議論だ。大きな転換点となったのが、「資生堂ショック」と呼ばれた資生堂の美容部員の働き方改革だった。
2014年、資生堂では育児のために時短勤務をする美容部員(ビューティーコンサルタント、BC)約1200人に対してそれまで免除されていた夕方以降の遅番や週末のシフトに、入れる人は入る形に見直した。
当時資生堂の女性社員比率は約8割。多くは美容部員だが、総合職の約半数も女性が占めてきた。2004年にはより女性に活躍してもらうために、女性活躍推進を経営戦略に掲げるなど、この分野においては日本で最も早くから取り組みを始めた企業の一つと言える。