文春オンライン

ノーベル平和賞・劉暁波は「あざとい」のか「不器用」なのか

伝記『劉暁波伝』翻訳者と白熱対論

2018/01/15
note

劉暁波は中国の伝統的な知識人の悪い面も大いに継承していた?

――しかし、私個人の感想ですが、劉暁波は中国の伝統的な知識人の悪い面も大いに継承していたのではないかと思います。劉燕子さんには怒られそうですが……。

 うーん。非常に引っかかる言い方ですが、続きをどうぞ。

――明の建文帝に仕えた方孝孺の故事を例にあげます。靖難の変で帝位を奪った永楽帝にスカウトされた儒学者・方孝孺は、帝位の簒奪は筋目が通らないと永楽帝をひどく罵った。そこで永楽帝は方孝孺を仕官させるため、目の前で彼の親類縁者を何百人も殺してみせますが、彼は最期まで志を曲げなかったのでついに望みどおり処刑されたという話です。これが史実かは疑問も大きいですが、似た話は中国史上でたくさんあります。

ADVERTISEMENT

 ええ。たくさんありますね。三国志の時代に曹操を批判し続けて本人も一族も死刑になった孔融の例もあります。

「忠臣」方孝孺を顕彰する史料。中国の歴史故事紹介サイト『kuaizuiba』より

── 一方孝孺や孔融は中国の伝統的な価値観では気骨の知識人だとみなされていて、本人らも名を残すことを意識して意地を張ったのだと思います。しかし、周囲の人はたまったものではないでしょう。私は劉暁波の気骨にも似たような感じを覚えるんです。

 劉暁波の場合は零八憲章で捕まったのは彼一人だけで、この点は本人もほっとしていたと聞いています。それに劉暁波は「名を残す」ために意見を曲げなかったわけではないでしょう。彼の人間性はもっと豊かです。

──なるほど。

 歴代の中国の知識人は、儒家的な道徳行為「直諫の忠」(皇帝に政治を諌めることで示される忠義)についてはすこぶる誠実におこなってきた。だが、これはあくまでも皇帝に仕えるよき「臣民」としての姿勢なので、「直諫の忠」を守る限りは専制体制との依存関係から脱却できないし、たとえ数千年を経ても政治を変えることはできない。歴史上、死をもって主君の悪政を諌めるような知識人も多くいたが、彼らの行為も皇帝の存在が前提なのだから、専制体制を擁護して安泰たらしめるものでしかなかった――。これが、劉暁波が過去におこなってきた批判です。

 過去の中国人が政治に対して求めてきたのは「明君」の出現であって、政治改革とは「かしこきところ」からあたえてもらう恩寵にすぎない、というわけです。劉暁波は天安門デモ中の「六・二ハンスト宣言」から2008年の「零八憲章」まで、中国人はこのような「臣民」になるのではなくて、真の自由がある「公民」になるべきだと繰り返し提起してきました。

本質的に詩人だったから、政治と文学を使い分けられなかった

――いや、私が感じる劉暁波と方孝孺の類似点は「無理しすぎ」感なんです。現実と折り合いをつけて自分の考えを広める方法は、他にいくらでもあると思うんですよ。それらを講じずに、明らかに事前に予測できる弾圧を真正面から受けて「ひどい暴政だ。自分はこんなに可哀相な目に遭ってもガマンしている。この姿を見てくれ」という姿勢を示すのは「あざとい」とも感じます。私があまり劉暁波を好きではない理由もこの点なんです。

 「あざとい」という指摘は断じて違います。そう見えてしまうのは、劉暁波が不器用で、折り合いがつけられないタイプだったからです。彼は本質的には詩人でしたから、政治と文学を使い分けられなかった。

劉暁波氏の遺影を抱える妻の劉霞さん ©AFP=時事/ Shenyang Municipal Information Office 

――やはり劉暁波をもっとよく知らないと、私の疑問への答えは出ないのかもしれません。今度刊行される『劉暁波伝』をしっかり読むことにします。

 余傑さんは『劉暁波伝』のなかで、劉暁波の思想を理論的に紹介するよりも、本人の苦悩や迷いもしっかり描いています。特に出色なのは、やはり天安門事件前後の劉暁波についての描写です。自分自身に対して誠実に向き合っていた劉暁波の人生を、日本でも知る人が増えてほしいと思っています。

――ありがとうございました。

劉暁波伝

余傑(著),劉燕子(翻訳)

集広舎
2018年2月9日 発売

購入する
ノーベル平和賞・劉暁波は「あざとい」のか「不器用」なのか

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー