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《お墓は300坪》徳川慶喜家・最後の当主が語る「家じまい」の大変さ「お宝も埋蔵金も、ありはしないのに…」

徳川慶喜家第5代当主・山岸美喜さんインタビュー #2

2023/05/19

genre : ライフ, 歴史, 社会

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墓所は300坪! 墓じまいの手続きは

――家じまいと墓じまいには、どういう手続きが必要ですか。

山岸 墓所は東京都の史跡指定を受けておりますが、300坪もあり、到底個人では管理できません。木を伐ったり壊れた部分を修復したりと、維持するのに大変なお金がかかります。いまも墓所を囲む塀の修繕が必要で、2000万円とも言われており、寛永寺とも相談をしておりましたが、宗教が違う墓地の事まではなかなか難しいかと思います。

 墓じまいを決めたのは慶朝叔父なのです。こんな苦労はもう終わりにすべきだ、という決断は正しいと思っております。その遺志を受け入れがたい親族の存在もなきにしもあらずですが、今後は親族で守るのではなく、しかるべき所に寄贈し墓地そのものは現状維持していただけるよう、働きかけている最中です。

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徳川慶喜の墓所 ©杉山拓也/文藝春秋

――慶朝さんがご存命中は、ご自分のお金で管理されていたんですか。

山岸 はい。叔父は叔父なりに、お金が無い時も常に責任を負い頑張って維持しておりました。

膨大な史料の行き先は?

――もうひとつの問題は、膨大な史料の保全ですね。

山岸 慶喜家には、数千点の史料が残されています。文書や写真が中心的な史料群なのですが、その中でも貴重な史料として「烈公(水戸藩第9代藩主で慶喜の父・徳川斉昭)御宸翰(ごしんかん=手紙)」というのがあります。将軍になるべく11歳で一橋家へ養子に行った息子に向けて、様々な指導書として送った手紙です。ふんどしの結び方を絵付きで教えていたりして、親の愛情が伝わる貴重なものです。慶喜はこれをとても大切にして、製本してから桐の箱に保管していました。

「烈公御宸翰」が保管されている桐の箱(山岸さん提供)
ふんどしの結び方が絵付きで説明されている(山岸さん提供)

 徳川家の御紋と、双葉葵の刺繍がついたアルバムもあります。家紋の三葉葵ばかり使うといかにも大仰なので、ちょっとオシャレに双葉葵も使われたようです。

徳川家の御紋と、双葉葵の刺繍(山岸さん提供)

――どれも貴重なものでしょうね。

山岸 史料の一つ一つに、時代を超えた心が籠っています。たくさんの人に見ていただきながら、きちんと研究もしていただいて、後世の歴史認識につながるようにしておくのが、遺された史料のあるべき姿だと思っています。

 慶朝叔父が亡くなるまで、千葉県松戸市にある戸定(とじょう)歴史館に30年間預かっていただきました。慶喜の弟で最後の水戸藩主だった徳川昭武さまが住んでおられた戸定邸の隣りに建てられた博物館です。水戸家から明治時代になって分かれた松戸徳川家の史料などを展示している、徳川に特化した歴史館があるのです。

 一昨年、預かっている慶喜家の史料は、慶喜家に返すべきだという判断をしてくださったので、まとめて研究などをしてくださる機関への寄贈となるよう、各方面に相談している最中です。ところが、徳川姓でもない女性の私が電話で、「慶喜家に伝わる史料が数千点ございまして、寄贈を検討しているのですが」と、話を持ち掛けても、なかなか現実感に乏しく、私が考えた通りの対応とはならず、困惑する事もありました。確かにニセモノっぽいですよね(苦笑)。