100年前にぽつんと作られた滑走路から時は流れ…「南千歳」の1世紀
ちなみに、千歳に空港が誕生した経緯にも、鉄道が大いに関わっている。千歳線は私鉄の北海道鉄道によって1926年に開業した。そのとき、しがない寒村に過ぎなかった千歳村にも駅ができた。そこで、さっそく小樽の新聞社が千歳にやってきて、村内でイベントを開催しようと提案したのだ。
そのとき、千歳の人々が求めたのが、飛行機の着陸だった。日本国内に飛行機が入ってきて間もない時期だが、北海道の新聞社も社用機を導入していたから、それをひと目見たいと思ったのだろうか。
もちろん飛行機の着陸には滑走路が必要なわけで、村民挙げて鍬を手に取って、農業生産に向かない火山灰地を平らにならし、長さ200mの滑走路を手作りした。そこに飛んできたのが、空港公園にあった北海1号、そしてその飛行機を操ったのが、酒井憲次郎操縦士である。北海道の玄関口のはじまりは、鉄道が通ったことをきっかけにした、地元の人たち自ら作った滑走路だったのだ。
その後、千歳の飛行場は海軍航空隊の基地となって発展し、戦後は米軍、そして航空自衛隊の基地へと移り変わり、1961年からは東京~千歳便が開設されて民間機も飛ぶようになった。
まだまだその頃は、長距離の旅でも飛行機より鉄道が優勢のご時世。そこからおおよそ20年、飛行機は完全に鉄道を上回るようになり、千歳空港駅が開業した。さらに1992年には新ターミナル(現在の新千歳空港)に向かう新線が開業して、千歳空港駅は南千歳駅に名を改める。その役割も、空港アクセスから道東・道南方面への特急接続駅に変わった。
しかし、空港駅として誕生した当時から、駅の構造は基本的に変わっていない。ホームから駅舎へのエスカレーターは、さすがに取り替えこそあっただろうが、開業当初から“伝統”だ。国道を跨ぐ陸橋は、旧ターミナルビルへ続いていた「スカウェイ」と呼ばれた連絡橋の一部が残されたもの。
商業施設が北口にできたとはいえ、基本的には“何もない”、南千歳駅。だが、その何もなさこそが、国鉄で初めての“空港駅”としての歴史と誇りを象徴しているのかもしれない。
写真=鼠入昌史