その分岐点が、これまた空港のターミナルビルから200mほどしか離れていない場所。となれば、とうぜんついでに駅を設けて空港アクセス駅に、と考えたくもなる。が、これは現代人の発想で、1970年代にはそう簡単に運ぶ話ではなかったようだ。
というのも、元来鉄道と飛行機は長距離輸送を巡るライバル関係にある。空港の利用が便利になるアクセス駅を設けるなど、まさに敵に塩を送るようなもの。なので、国鉄内部でも時期尚早だとして駅設置に反対する意見がかなりあったという。
とはいえ、70年代はちょうど飛行機の利用者数が急激に伸びて、鉄道からお客を奪いまくっていた時期だ。1967年には100万人ほどだった千歳空港の利用者は、1974年になると400万人に増加、さらに1979年には765万人にまで達していた。
そうした状況で、さしもの国鉄も意地を張り続けるわけにはいかなかったのだろう。結局、開業前年の1979年に空港アクセス駅の設置を決定している。
羽田空港以来国内2例目の“空港駅”だった「南千歳」
かくして1980年に開業した千歳空港駅は、国鉄としてははじめての、そして私鉄などを含めても1964年の東京モノレール(羽田空港)以来国内2例目となる空港駅であった。空港アクセスの利便性はこれによって飛躍的に向上し、空港利用者の増加に繋がった。
いまでは成田も伊丹も関空もセントレアも福岡も、空港に鉄道が乗り入れているのは当たり前。だが、そのほとんどは千歳空港以後のものだ。つまり、千歳空港駅の開業は、「国内の移動は鉄道が一手に担う」という時代が明確に終わりを告げた、そんなエポックだったのである。
そうした画期的な駅だからということもないだろうが、千歳空港駅開業日には女優の岡田奈々が一日駅長を務め、さらに道内の鉄道駅でははじめてエスカレーターが導入されたりと、なかなか徹底したサービスぶりだったという。当時は珍しかった女性の駅員も配置されている。
周囲はいまとさほど変わらない、空港以外は何もないような駅。ただ、いまと大きく違うのは、北側にあった千歳空港のターミナルビルと直結する200m超の連絡橋が設けられていたことである。