151、152、154……。その日、東京ドームのマウンドで投じた直球22球のうち、実に21球が150キロを超えた。残りの1球も149キロ。助っ人投手なら全く驚きはないが、これは阪神の4年目・石崎剛が腕を振った結果だ。
4月1日の巨人との開幕3戦目。2−3と1点ビハインドの7回に名前がコールされた。「結果が求められる立場なので、強気の投球でいった」と胸に刻んで臨んだ自身初登板。力を誇示したのは、巨人の中軸と対峙した2イニング目の8回だった。
アレックス・ゲレーロに四球を献上も、坂本勇人、ケーシー・マギー、岡本和真を三振に斬った。チームが敗戦を喫する中、2回無失点5奪三振。その結果以上に、自慢の直球を前面に、強打者たちに真っ向勝負を挑んでいくスタイルが、敵地で、光り輝いていた。
車を愛する男が入団時に語った目標
プロ4年目ながら今年で28歳の“アラサー”は、社会人で6年間を過ごした末、14年にドラフト2位で入団。茨城県出身で、三和高時代にはマリナーズのスカウトも視察に訪れたほどの逸材だった。趣味は「洗車」で、まだ鳴尾浜の選手寮にいた頃、休日にバケツを片手に「これが一番幸せな時間です」と自慢の愛車を磨く姿を僕も何度も目撃している。
14年12月9日付のスポーツニッポン関西版では『石崎 たけし車「乗りたい」』との見出しで一面を飾ったことも。前日の入団会見で、車を愛する男は、ビートたけしも所有する超高級外車「ブガッティ・ヴェイロン」に乗ることを「究極の目標」として語っていた。
壮大な夢を描いて踏み入れたプロの舞台だったが、なかなか殻を破れずにいた。1年目は開幕1軍入りを果たすも8試合登板に終わり、16年も10試合止まり。昨年の26試合がキャリアハイで、年間通して1軍に定着した経験はいまだにない。
サイド気味のスリークォーターから豪球を投じるフォームは、もともと上手投げだったものを、社会人時代に腰痛を発症した際に負担のかからないフォームを探して変更。すると、球速は一気に上がり、スカウトの評価を上げた。だが、プロ入り後は、一時、上手投げに転向するなど試行錯誤。タテジマに袖を通しての3年間は、悩んだ時間の方が圧倒的に多かった。
再び腕の位置を下げ、昨年はシーズン終盤に台頭し防御率1.17を記録して秋には侍ジャパンにも選出。確かな手応えをつかみ、今年1月にはアマチュア時代から憧れていた藤川球児に弟子入りを志願して沖縄で約3週間、偉大な先輩から技術の吸収を試みた。