「同級生なりを連れてきたらどうですか」
奥田が裁判で語った身上は次のとおりだ。離婚歴があり現在は独身で、一人暮らし。大学を出て民間企業に就職したが、27歳頃に教員に転身した。
石丸については、陳述書にこう記していた。
「私の本人への学校での印象はほとんどない」
あまりの言いぶりに石丸は愕然とするしかなかった。
石丸は、本人尋問のために初めて出廷した。とはいえ法廷で奥田の間近にいることは、今の石丸の病状では堪えられない。そこでビデオリンク方式といって、裁判所の別室に待機し、テレビ画面を通じて尋問を実施するという方法が採用された。
当日、石丸は必死の思いだったという。
「精神安定剤をたくさん飲んで臨みました。でもやっぱり、ビデオ越しでも辛かったですね。小学生の時のことを思い出してどんどん気分が悪くなりました」
奥田が反対尋問に立った。石丸は言葉を交わす恐怖に身を固くした。奥田が口を開いた。
「まず、私を暴力教師のように、平手で打ったり、張り手で打ったりしたとあなたは言っていますけれども、それを証明するんだったら、同級生なりを連れてきたらどうですか」
石丸は、今のおまえにはそんなことができないだろう、と言われたようで「バカにしている」と思ったがぐっと堪えた。
奥田は続けてスキー旅行に言及した。
旅行については、奥田自身が準備書面で以下のように触れていた。
「卒業後、中2の時に誰かが誘って彼が同行したのを覚えている。小さな民宿で夕食の時間に食堂に行くと、用意してある夕食を一瞬見るなり、脱兎のごとく部屋へ舞い戻った。余りの奇怪な行動に開いた口が塞がらなかった。朝食も食堂へも行かずにいたこと、育ち盛りの子の突飛な行動に、会話さえも成り立たなかったことを記憶している」
そして反対尋問でも、念押しするようにこう述べた。
「スキーに私が誘ったのではなく、もうひとりの子があなたを誘った、そして一緒に行った、これが事実ですね。2回行ったと言ったけど、これは嘘ですね。1回しか行っていません」
石丸は具体的な地名を出すことでこれに反論した。
「尾瀬岩鞍スキー場と、尾瀬戸倉スキー場です」
2人のやりとりは平行線のまま、そして3年間担任を持った立場から教え子にかけるような言葉は一言もないまま、終わった。
奥田は石丸の訴えに基づく裁判官からの質問もまた、以下のようにことごとく否定した。
■サッカー部の指導に関わったことがあるか
奥田「関わりないです」
■児童への体罰
裁判官「背中を平手で叩くということはありましたか」
奥田「絶対にありません」「私は自分がこの職に就いたときから一切やっていません」「『もみじ』という言葉は、言ったとは思いますけど、叩いたことは一切ありません。(略)子どもの頃そういうことがあったという話をしたと記憶しています」(※編集部註 奥田は、遅刻したり教科書を忘れたりした男子には「もみじ」と称する罰を与えた。児童の背中をさらけ出させて、手のひらの跡が紅葉のようにつくほど強く叩くもの)
■児童を自宅に招いたか
裁判官「児童を自宅に呼んで焼き肉を振る舞ったりとかそういったことをしていたことはあるんですか」
奥田「ありません。それは嘘です」
裁判官「まったくない?」
奥田「ありません」「卒業するまでそういうことはありません」
■スキー旅行
奥田「あんまり覚えていないんですけど(略)行きたいというのか卒業した後に言われたので、じゃあ行こうかということです。そしたら、その子が原告を誘った。そして来た」
裁判官「他の児童と一緒に旅行やスキーには一度も行ったことがないということなんですか」
奥田「ありません」
■刑事事件
奥田「(※共犯者に言及して)あれは共犯者というか主犯です。私が巻き添えを食らったみたいなものです」
裁判官「◯◯さん(共犯者)と一緒にそういった子どもが映った動画を交換していたという事実はありますか」
奥田「ありません」
裁判官「判決以外でご自身のマンションに(略)子どもを連れて入れたり、動画を撮ったりというようなことはありましたか」
奥田「ありません」
裁判官「◯◯さんの行ったことに共犯者として関わっていたということなんですよね」
奥田「少しだけです。なぜならば、私はこのときに病院に入院していたんです。そして彼に使わせてほしいと言われて鍵を渡したんです。だから、別荘だから、その中で彼がやったことなんです」
2022年6月、一審判決が出た。石丸の敗訴だった。
「本件わいせつ行為を根拠付けるものとしては、原告の供述ないし訴えがあるにとどまる」というのが判決の理由だった。
また、奥田が有罪判決を受けた刑事事件については、「本件わいせつ行為とは異なる事実であり、本件わいせつ行為との時間的間隔も大きいのであって、原告の供述ないし訴えを客観的に裏付けるものではない」とされていた。