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推しの話は止まらない

 飯間 学生さんたちがオタク用語辞典を編むまでの経緯はどうだったのか、教えていただけますか。

 小出 私のゼミのテーマは、日本語学です。日本語のさまざまな表現や文法、またそれらの変化などを広く扱います。でも、私が教えているのは短大の現代教養学科で、1年生のカリキュラムには、日本語学関係の科目がありません。2年生になって、私のゼミを選んだ学生は、いきなり日本語学を学ぶことになります。ですから、日本語を観察するにしても、取り組みやすい対象を設定しておいたほうがいいと思い、初めから詳しくて、「いくらでも観察していられるし、どこまでも考え続けられる」ものを学生の研究対象にすることにしたんです。

小出祥子氏(本人提供)

 飯間 つまり、好きなアイドルやキャラ、いわゆる「推し」ですね。

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 小出 そうなんです。4年前から「推しが話す言葉を観察する」というテーマを設定して、学生たちに取り組んでもらうことにしました。そのうち、「自分の推しを観察することが、卒論になるゼミがあるらしい」ということで、どんどんいわゆる「オタク」といわれる子たちが集まってくれるようになったんです。

 飯間 方言を論じるにあたって、まずは自分や周囲の人々の話す方言をつぶさに観察するのと同じですね。対象が「推しの言葉」というところが独特ですが、至ってオーソドックスな言語学的手法です。具体的にはどんな作業をするんですか。

 小出 いまはYouTubeなどでアイドルや声優、アニメのキャラクターなどが話す言葉を簡単に集められますから、それを文字に起こし、どのような言葉が話されているか観察するところから始めました。

 飯間 当初の観察対象は「推しの言葉」だったけれど、それが次第に自分たちが話すオタク語へと移行していったわけですね。それには何かきっかけがあったんでしょうか。

 小出 最近の学生は、なかなか自分の意見を主張してくれないと思うことが多かったのですが、休み時間に研究室に来る子たちが話すのを聞いていると、推しの話は止まらない。このパワーを使わない手はない、と今度は「自分が推しに対して使う言葉=オタク用語」を観察対象にすることにして、2022年5月からゼミ生みんなで用例を集めはじめました。その時点では「同人誌のようなものが作れたらいいね」と漠然と話していただけだったのですが、学生たちが非常に熱心に集めてくれたので、1冊にまとめることができ、2022年の11月に大学祭で販売するに至りました。

 飯間 そのあたりから私も新聞報道などで知っています。辞書マニアの方が実際に大学祭に足を運んでその辞書をお迎え(入手)したという話も聞きました。大変な人気で、すぐに売り切れたそうですね。

 小出 ありがたいことに、500円で販売していた初版70部は予約分で完売し、急遽増刷した70部もほぼ完売となりました。

 飯間 私もとても欲しかったのですが、指をくわえて見ているしかありませんでした。悔しくて、関係の深い三省堂の編集部に言ったんです。「学生目線で作ったユニークなオタク用語辞典があります。1冊手に入りませんか」と。でも、私が言うまでもなく、編集部でも注目していたようです。

 小出 私、すごくはっきり覚えています(笑)。大学の事務局からある日、「先生、大変なことになりました!」と電話がかかってきました。「三省堂の方から、辞書を1冊欲しいとお話をいただきました!」と。

 飯間 三省堂の動きは素早かったんですね。その後どうなったか、私には内部のことはうかがい知れませんでしたが、実は大増補して出版する計画が進行していたんですね。当初、大学祭で売った辞書には何語収録されていたんでしたっけ。

 小出 821語です。この時はゼミ生7人で編集していました。

 飯間 その時点ですでにかなりの規模だったわけですが、今回は12人のゼミ生や元ゼミ生の皆さんが協力して、1559項目を収めることになりました。ほぼ倍増です。従来の書籍で、この規模のオタク用語辞典はありません。しかもこの増補の作業をわずか1年程度で行った。これがどれだけ大変な作業かは、辞書を作る私には痛切に分かります。楽しさとともに苦しさもあったでしょう。言葉を扱うって、本当に神経を使いますね。少しずつ命を削られるというか。

 小出 本当にそうですね。学生も私もちょっと削られたような気がします(笑)。連日連夜オンラインで集まって、みんなで深夜まで一語一語チェックした時間は忘れられません。