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「女性問題」という仕事の能力とあんま関係ないトラップで轟沈する人について

スキャンダルと去就の「間合い」問題

2018/04/19

genre : ニュース, 政治

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俗にいう「人間としての魅力」と、いまの民主主義

 もちろんスキャンダルとは無縁な人がトップに来てくれれば、それは安定するでしょう。でもまあ、俗にいう「人間としての魅力」って、ある種のヤバい部分も持ち合わせる清濁併せ呑む系の人たち特有の匂いもあるし、暴言吐いてみたり、剛腕であったり、何か人を強烈に惹きつける何かを持ちつつ、凄く敵が多いとか、スケールの大きさや懐の広さなんてのをもっていたりもする。でも、そういう人がネット全盛のいまの民主主義では、ちょっとした問題を見つけては叩かれ、沈んでいくのでありまして。

福田次官「セクハラ発言問題」について話す麻生太郎・財務相 ©時事通信社

 政治家も経営者も官僚も、いわゆる大物がいなくなった、という批判もまた、出るわけですよ。何十億と利権を堂々と漁って金権政治を切り盛りした政治家もいなければ、日の丸を背負って世界を相手に戦う名物経営者も数えるほどしかいなくなって久しい。国力の低下だ日本社会の劣化だと騒ぐ割には、小さい問題で誰かを叩くことを繰り返して、どんどん均質化していってるんじゃないか? とすら思うんですよ。相互監視して、問題が起きないように首をすぼめて生きてきた結果、無難な小粒が揃った社会になってしまったのでありましょうか。

 こういう閉塞感が強く希望が乏しい状況が続くと、とんでもない独裁者でも出てきたりするのかと思うわけですが、せいぜい安倍ちゃんがトランプさんとゴルフしてるのを馬鹿にするぐらいがいまはちょうどいいのか、と思う次第です。

「女性問題」という仕事の能力とあんま関係ないトラップで轟沈する人について

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