警察による捜査が進んでいた六月、この横領疑惑の内幕を知る麻浦(マポ)区にある慰安婦センター「平和のわが家」の管理所長が謎の自殺を遂げた。文在寅(ムンジェイン)政府の検察はその年の九月、尹美香を業務上横領、詐欺などの疑いで起訴した。しかし、文在寅が任命した金命洙(キムミョンス)大法院長【編集部注:日本でいえば最高裁判所長官】のもとにある地裁は二年半にもわたるモタモタ裁判の末、二〇二三年二月、一七〇〇万ウォンの横領のみを事実として認め、一五〇〇万ウォンの罰金刑を宣告した。尹美香はこの判決で免罪符を得たかのように意気揚々としていたが、九月の二審判決では懲役一年六カ月、執行猶予三年を言い渡された。(略)
慰安婦運動家らが主張し、その間、大多数の韓国人が信じてきた慰安婦の物語は、果たして本当なのかという懐疑が広がり始めた。朝鮮人少女は本当に日本の官憲に強制連行されたのか、彼女たちは本当に慰安所で報酬も貰えず日本軍に集団強姦され、日本の軍人と業者に暴行拷問されたのか、そして本当についには日本軍が敗走する戦場に捨てられ虐殺されたのか、と。
事実と食い違う証言
実のところ、慰安婦運動に関わる韓日の慰安婦問題研究者たちの行ってきた研究自体が、その運動の真実性に疑問を抱かせるものだったのである。一九九〇年一一月の挺対協の結成、一九九一年八月の元慰安婦・金学順(キムハクスン)の最初の証言、一九九二年一月の水曜集会の開始から今に至る三〇年余りの間、慰安婦関係の資料が数多く発掘され、それらを分析した研究が多数出された。そして、その大多数の研究者は、結論として一様に「慰安婦は強制連行された性奴隷だった」と主張してきたが、彼らが資料の分析を通して実際に示した事実はその主張とは食い違っていた。
強制連行、強制動員の客観的証拠はなかった。日本の軍人や官憲に強制連行されたことが客観的資料により明らかにされた慰安婦は一人もいなかった。性奴隷であったことは事実として立証されておらず、「私たちがなぜ性奴隷なのか」と反発する元慰安婦もいた。慰安婦運動家たちができるのは、「被害者がまさか噓をつくわけがない」「被害者の涙が証拠だ」と元慰安婦たちの証言の肩をもつことだけなのである。