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 ところが、階級・階層論において女性が研究対象とされるようになったのは、それほど古いことではない。いまから考えると信じられないようなことだが、ある時期まで階級・階層論では、女性は研究対象とされていなかったのである。

 SSM調査(社会階層と社会移動に関する全国調査)を例にとろう。この調査は1955年から10年ごとに行われ、日本の階級・階層研究に重要な基礎を提供してきたのだが、1975年までの3回の調査では、最初から調査対象が男性に限定されており、性別に関する設問さえ存在しない。

 1975年の調査結果は、戦後日本を代表する社会学者の1人である富永健一が編者となった『日本の階層構造』という本にまとめられているが、もとになったデータが男性だけのデータだから、正確には『日本男性の階層構造』と題されるべきで、またこの本に収められた「職業経歴の分析」「階層意識と階級意識」などという論文も、本来は「男性の職業経歴の分析」「男性の階層意識と階級意識」と題されるべきだったということになる。

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 1985年の調査からは女性も調査対象となったが、女性を対象とする調査は、男性を対象とする調査とは別の調査として実施されている。だから質問紙も「女性向け」に作られていて、そこには「現在、あなたが働いている理由は何ですか」などという、男性向けの質問紙には含まれていない設問が設けられていた。「男性が働くのは当たり前だが、女性が働くのには何か特別の理由があるはずだ」という前提で調査が設計されていたのである。

暗黙的なジェンダー・バイアス

 このように女性が研究対象から除外されてきたのは、日本だけではない。米国で階層研究が飛躍的に発展したのは1960年代のことだが、研究の基礎となったOCG(Occupational Changesina Generation)調査は男性のみを対象としており、質問紙の冒頭には「ディア・ミスター(Dear Mr.)」と書かれていた。

 ヨーロッパ諸国でも事情は同じで、1990年代はじめの段階でデータが利用できた調査のうち、女性が対象となっている調査は半数程度に過ぎなかった(エリクソン&ゴールドソープ『不断の流動』)。

 なぜ女性が研究対象から除外されてきたのか。第1の理由は、明らかな女性差別だろう。つまり、女性は社会的に重要な存在ではないので、研究対象に含めなくてもよいという考え方である。実際に1980年代に入るころまで、家族社会学を除けば、社会学において女性が研究対象とされることは少なかった。

 家族について研究する場合は、母親あるいは妻としての女性を無視することはできないから、辛うじて女性が研究対象となるのだが、その他の領域、とくに労働や政治など公的な領域についての研究では、女性が研究対象とされることは少なかったのである。

 第2の理由は、階級・階層を構成する単位は世帯なのだから、その収入や生活水準、利害などの大半を決定する世帯主の所属階級・階層さえわかれば、階級・階層構造の分析には十分だと仮定されてきたことである。しかも世帯主は男性だと、暗黙のうちに前提されていた。もちろん女性が世帯主の世帯も存在するのだが、当時はまだまだ少数だった。