尊厳の回復ってこういうことなんだ

――テレビ朝日で放送された番組は、その後アメリカ国際フィルム・ビデオ祭で上映され、ドキュメンタリー・歴史部門で銀賞に値する「Silver Screen」も受賞しました。松原さんとしては、ここで黒川への取材は一区切りついたという感覚だったのでは?

松原 そうですね、最初はこの先も撮影を続けようとは考えていませんでした。ただ、宏之さんに「碑文もできて一段落しましたね」と話したら「いや、まだ終わりじゃない」と浮かない顔をしてるんです。話を聞いてみたら、被害者のひとりである安江玲子さんのことが気掛かりだと言うんですね。

 黒川を離れて暮らしていた玲子さんは、開拓団に対して嫌悪感しかないし、二度と黒川には帰りたくない、という態度だったそうです。宏之さんが碑文のことを連絡しても、作るのは勝手だけど私は関わりたくないという返事で、式典にもいらっしゃらなかった。何度直接お会いしたいとお願いしても了承を得られず、コロナ禍に入りさらに会うのが難しくなった。そのことが宏之さんにとってはずっと心残りだったんです。

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©テレビ朝日

 そうしたら2023年10月になって突然、玲子さんの方から「会ってもいい」という返事が来たんです。何か心境の変化があったんだろうなと、宏之さんたちと一緒に私も撮影をしにいきました。以前取材をした際は全く笑わず人を寄せ付けない態度だったのが、2023年に再び会いに行くと、表情がすごく柔らかくなり何度も笑顔を見せてくれました。あれほど重々しい雰囲気を漂わせていた玲子さんが、このときは堰を切ったようにいろんな話をしてくれて、そこで映画にも映されたお孫さんからのハガキを見せてくれたんです。

 それまで彼女は、家族にも被害体験を話せず、夜も眠れないほど苦しみながら、その思いをひたすら文字で書き綴っていたそうです。そういう状態が何十年も続いた後、「性接待」の事実が明らかになったことで、お孫さんが知るところとなった。そして、玲子さんのことを理解してとても温かい言葉をハガキに書いて送ってくれた。その話を嬉しそうに語る姿を見て、尊厳の回復ってこういうことなんだ、人の心の傷はこうして癒すことができるんだと心から思いました。あの瞬間に立ち会えたのは、私にとっても、映画をまとめるうえでも本当に大きなことでした。