――映画の前半では顔が映されないまま振り絞るような声で被害について話していた玲子さんが、今度はにこにこと笑顔で話されている様子に、見ていて心を打たれました。2023年に会いにいった際には、顔も映していいということになったんですよね。
松原 はい、撮る前に「顔を映していいですか?」と聞いたら少し考えて「いいよ」と答えてくれました。名前も昔の実名でいいですと。玲子さんは、被害のことが公になれば家族から非難されるんじゃないか、それによってまた自分が傷つくことになるんじゃないかとずっと恐れていたと思う。それがお孫さんから受け入れられたことで、身内が理解してくれる、被害を知られるのは怖いことじゃないとようやく安心できたんでしょうね。
ハルエさんの話を聞いた以上、自分も何かしないといけない
――2023年に玲子さんに会いに行かれたことで、もう一度取材をして映画という作品にしようと思われたんでしょうか?
松原 実はその前から何度かカメラをまわしてはいたんです。2018年に碑文ができ、私たちのつくった番組もテレビで放送され、黒川開拓団における性暴力の事実が一気に世間に知れ渡った。細心の注意を払ってはいましたが、当時は玲子さんのように名前を出したくないという人もいらっしゃったし、こうして報道に載ることで何が起こるか不安もあり、放送後も彼女たちのことを見守っていたんです。そうしたらひとつ大きな変化が起きた。ハルエさんのところにいろんな人たちが会いにくるようになったんです。学校の歴史の先生たちが話を聞きにきたり、大学生が取材に来たり、高校生や会社員の女性たちも話を聞きたいと遠くから会いに来ていました。ハルエさんも、毎回彼らと向き合って真剣に話をしていました。それで私も、一応記録をしておいた方がいいかもしれないと横でカメラをまわしていたんです。
そんななか、宏之さんが玲子さんに会ってもらえることになり、カメラを持って会いに行ったらああいう場面に遭遇することができた。そういうことが続くうち、撮ったものを何か形に残しておきたいなと考えるようになりました。



