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「女性社員の側が、セクハラと感じたらそれはセクハラなのです」

 このように、働く男性の働く男性による、いわゆる「男性社会が培ってきた文化」は現代社会において批判や嘲笑の対象となり、隙あらば #MeToo となり、うっかり女性社員に声をかけるとセクハラ扱いとなる世知辛い世の中になりました。いろいろ辛い。先日、かねてから仕事でご一緒していた外資系企業の研修にお邪魔した際、聞いておりますとおっさん社員数百人に向かって講師が「あなたたちおっさん側にセクハラの意図があったかどうかは関係ありません。あなたたちからのコミュニケーションを受け取った女性社員の側が、セクハラと感じたらそれはセクハラなのです」という実に不合理で非対称的な内容を聞いてしまいショックを受けるわけであります。もちろん、法的にも組織防衛的にもそれが正しいのは分かります。でも、理不尽だよなあとも思います。男だって、上司部下の関係や取引先から腹立たしい物言いされたり、侮辱を受けることだってあるわけですからね。

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 しかし、実際に海外で事業をしていると、こちらがそれなりの金持ちであることを知るや、途端に食事に誘ってくる女性マネージャーもまた多いことを知ることになります。すべてがすべて変な話に発展するものだとは思わないけど、大事な取引先との会食を1対1でやったときの不測の事態は避け得ようがないので、必ずもう一人二人連れて行ってリスクヘッジをするしかなくなってしまいます。

戦々恐々としながら社会生活を送らなければならないという実情

 先日も、山口敬之さんのレイプ騒ぎでBBCの番組に登場した伊藤詩織さんの問題が話題になっていましたが、これはこれで問題として受け止めつつ、どんな教訓を私たちが受け取るべきなのか悩んでしまう部分があります。両方の言い分を聞いても、どっちが正しいんだか第三者には良く分からんのが実情ですからね。むしろ、横から出てきた杉田水脈さんが壮大な自爆芸を見せていて、ああこの人は心の底からエンターテイナーなんだなと感じます。

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 また、財務省次官だった福田淳一さんをセクハラで告発したテレビ朝日女性記者の問題では、その女性からのセクハラ告発を受け取って問題を組織で共有しなかったという女性上司は処分なしという報道がありました。もちろんテレビ朝日内でいろんな事情や話し合いはあったのだろうとは思いますが、財務省では当事者の次官のクビが飛び、財務大臣である麻生太郎ちゃんの責任を問うマスコミ報道が相次ぐのに、問題が共有されなかったことは処分見送りというのはダブルスタンダードのようにも外からは見えます。お前ら本当にそれでいいんでしょうか。

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 そして、大多数のおっさんは特に問題を起こさず、日々を我慢して生きています。特に女性に変な声をかけるつもりもないおっさんも、女性側がどう感じるのか戦々恐々としながら社会生活を送らなければならないという実情があるならば、それはそれで問題かもしれません。もちろん、一定数のどうしようもない男性がいるのは誰もが知っています。学識も実績もあるはずのサイバーセキュリティ専門家が、誰かれ構わず女性を追いかけ回すセクハラ常習犯であることはみんな知っていて、事情を知っている男性の側が「彼はそういう人だから気をつけて」と女性に声をかけて回らなければならないこともあります。おっさんにはおっさんなりの問題解決システムが存在するのです。

 むしろ、そういう性癖や、望まないプライベートへの立ち入りなどを繰り返す男性についての苦情を女性が気軽に相談できる環境があるのが、本来は望ましいのでしょう。慎みある家庭人である私の元にも、あの人はヤバイという情報がたくさん寄せられるのを見ると、大人の男女とはいえひとつ屋根の下で仕事をしていることの緊張感は本来は感じていかなければならないと思うのです。