世界的なパンデミックを契機にテレワーク、リモートワークが増えたことでQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が上がったという声がある一方、人々とのFace to Faceでのコミュニケーションやスポーツイベントなどの減少によるメンタルヘルス、健康へのダメージも顕在化してきた。
企業に目を向けると、事業所での感染対策やワクチン接種の推進などを通じての従業員の健康確保意識の高まりもあり、社会全体が日々の健康に向き合い、声に出して改善していく契機にもなったと言える。
しかしながら、いざ全社一体となって「健康経営」を推進する段階になると従業員の健康に対する意識の差や実際の効果や成果が測りづらく、投資に踏み切れないなど解決すべき課題も多く存在する。
本カンファレンスでは、「健康経営の本質」について、有識者、実践企業の講演を通じ、「可視化と対話で創り出す成長の好循環」「生きがいや働きがいの再発見」によるパフォーマンスの向上などの事例を検証し、働く人、組織、そして社会のあるべき姿を構想した。
■基調講演
生きがいと働きがい‐脳科学の視点で考える健康経営
脳科学者
ソニーコンピュータサイエンス研究所 上級研究員
茂木 健一郎氏
「健康経営は、脳科学者にとっても非常に興味深いテーマ。最高に創造性がある、最高にコミュニケーションができる、最高に経営の生産性が上がる……それがすなわち健康経営であると言える領域がある」。と茂木氏は口火を切った。
米国のグーグル本社で体験した「世界最高レベルの創造性を発揮して楽しく働く」ことが健康経営に結びついているさまは原体験として忘れられない。また、昨今は日本のソニーでも健康経営、創造性とコミュニケーションの能力を最大化する事例が見られる。
脳のさまざまな研究において出てきているキーワードがある。例えばハンガリーの心理学者チクセント・ミハイ氏が提唱した、
・フロー(ステート)、ゾーン
「フロー」が健康経営の核心だ。集中かつリラックスしていて、時間の経過を忘れるくらい仕事が楽しく、自分の存在も忘れるくらい仕事に没頭し最高のパフォーマンスと生産性を発揮する。それがフローという状態。
フローの状態で仕事をし、さらに高度化した「ゾーン」に時々入るのが理想。オリンピック・メダリスト級のアスリートでの経験でよくゾーン状態が語られる。極めて複雑な動作を実行し最高のパフォーマンスを発揮しながら、じつはその時のことを何も覚えていない。これを一人一人の社員や会社が実現できたら、まさに“創造経営・コミュニケーション経営=健康経営”となる、と茂木氏は強調した。
ではどうしたらフローやゾーンの状態に入れるのか? それが「生きがい」に関係してくる。日本人のこれから生きる道は、GAFAのような先進事例を導入することも重要だが、日本の中にすでにある固有の強さに着目し生かすことも大事だ。
2017年の自著『The little book of IKIGAI』。にも書いたが、生きがいのある人は健康寿命が長い。生きがいには5つの柱がある。
・生きがい、小さな喜び(The joy of little things)=千利休ほどでないにしてもお茶を入れるにもこだわりを持つ。日常の所作をないがしろにしない……じつは生きがい働きがいの中心はそこにある。実は海外の人が今、そこに注目している。
・小さく始める(Starting Small)
・調和と持続可能性(Harmony and Sustainability)
・いまここにいること(Being in the here and now)
・自分の解放(releasing yourself)。日本人ならではの、本音で語り合える時間は非常に大切。
日本人ならではの和みの精神も大切。さまざまな異質のイデオロギーの中でも何とか妥協点を探したい。なぜ、皇室が126代も続いてきたか。それは権力者との間でちょうどいいバランスをとってきたから。今のこの国際情勢でこそ、そこに思いを馳せるべき。
「マインドフルネス(自分が経験していることをバランスよくそのまま把握する、認識するという前頭葉の働き)」。これは元々、禅寺での座禅から。本家本元は日本なのだ。いまやGAFAから今逆輸入されているけれど。
これからの健康経営において一番大事なことは「インテリジェンス」。頭の良さ=判断、選択。その判断、選択が健全なものであるためには脳の健康が大切。生きる上で無数の判断や取捨選択をしている。日々、どういう健全な選択ができるか、が肝要だ。
例えば、英国の諜報機関「MI6」の元長官が登壇したオックスフォード大学の質疑では、「NATOがロシアと直接交戦しないことで何か世界平和に貢献できることはないのか」という学生からの質問に、「そういう質問にはボクは答えられない」と元長官は答えた。
一番の機微にかかわることは公の場で言うはずがない。それがインテリジェンス。どういう選択をし判断するかを支えるのがインテリジェンス。日本人はインテリジェンスの感覚を無くしてしまい迷妄に入った嫌いがある。教育で子供の進路を選ぶのもインテリジェンス活動。経営において業務系システムを入れるのもそう。一人一人の人生は経営の連続なのだ。
メンタルヘルスの問題は、「健全な、自分にふさわしい選択」がなされている限り起こってこない。社員一人一人が、その選択ができていたら大丈夫。TVのクイズ番組『東大王』にトップ校の生徒がぞろぞろ出ている国と、オックスフォードのようにMI6の元長官とウクライナ・ロシア世界情勢の機微について討論している国では、インテリジェンスのレベルがまったく違う、と、茂木氏は慨嘆した。
インテリジェンスは、正解が存在しないことについてどう考えるか、だ。人生に正解は存在しない。そこで如何に自分の進路を選ぶか。それが健康経営の一番の基本。みなさんは自分の人生の経営者だ。知性・諜報活動。自分の選択、判断に貢献するような情報収集をし人脈を開拓して、広く公開されている情報からも有益な情報も掬い取ってそういう方向に日本はいくべきだ。また、それができていると、人は健康でいられる。
インテリジェンスについては本当に真剣に考えてほしい。健康経営と、最も創造的でコミュニケーションが上手くいっている経営は一致する。一致するということを一番的確に表すのが「フロー/ゾーン/マインドフルネス」。これらは日本人古来の知恵と繋がっている。
生きがいという概念にも深く繋がっている。ロシア・ウクライナ危機のさなか、自分の人生の小さな選択から、国家・会社としての大きな選択まで、インテリジェンスを考えることの大切さを改めて見直して欲しい。
自分の決定は自ら行うことでインテリジェンスは上がる。新しいことへのチャレンジは大切だ、と語り熱弁を終えた。
■課題解決講演
健康経営がもたらす投資対効果と企業の取組事例
株式会社iCARE
取締役CRO 健康経営アドバイザー
中野 雄介 氏
「経営会議・人事会議に「健康」は議題に上がりますか? 投資対効果のある健康経営、それはズバリ“健康経営の見える化”が最も大切です」と中野氏は冒頭に問いかけた。
“健康経営における長期的リターン”にまずは言及。健康経営はESG(Environment,Social,Governance)投資に繋がり、ステークホルダーなどからも支援されやすい。Social=社会性の中に含まれる“Health & Safety=安全衛生”が特に日本企業では重視され配慮されている。しかし、リターンを得るには時間がかかるのが通例で、短期間でメリットを可視化するために試行錯誤が続いている。
例えばエーザイ様のデータでは、障害者雇用率の成果が出るまで10年、健康診断受診率の成果発現まで10年かかった。
健康経営を実践するために、共通化されたフレームワークが経済産業省認定の「健康経営優良法人」である。そのゴールは2021年現在では「人的資本への投資が企業成長と社会発展につながる」というもの。
健康経営導入、健康経営優良法人(認定)取得のメリットは、
・就職活動=健康経営優良法人は学生への知名度がある。新卒・中途採用面接でのアピール
・他社比較=フィードバックシートで同業他社状況が分かる“ホワイト500(健康経営優良法人の大規模部門上位500社までに付く冠)”で公開されている
・インナーブランディング=自社の取り組みの周知で社員の満足度・エンゲージメント向上につながる
こうしたメリットや成果があると誰もが認識できる環境にし、従業員のストレス反応・要因やその先にある離職率を減少させるには、会社は健康診断/ストレス/労働時間/産業医・保健師面談などの健康データをデジタルで一元化し、可視化・見える化し弱点を把握しておくことが第一歩であり大切だ、と中野氏は強調。
それに寄与するのが、人事が抱える複雑で煩雑な健康管理をテクノロジー(データ分析)で効率的&効果的に進化させるiCAREの健康管理基幹システム「Carely」。累計利用者数は30万人を超え、数々の顕彰・受賞実績もある。直近ではCarely導入企業50社が「健康優良法人2022」に選定された。
「みなさんが行う健康経営の取り組みには、必ず投資対効果がありますが、その効果が可視化されているか、見えている状態なのかこそが最も大切」と最後にリピートし、そのための施策を打ち解決策を早期に発見することを推奨して、講演を終えた。
■特別講演①
働く幸せとは何か?
~ 一人一人のわがままを実現する働き方改革 ~
サイボウズ株式会社
代表取締役社長
青野 慶久氏
「“一律”を強制する必要ある? かえって幸福度や生産性を下げてない?」という問いかけから青野氏は講演を開始した。サイボウズを経営するにあたって、多様性を尊重することで幸福度と生産性を上げていきたい、と常に考えているという。
同社は例えるなら“巨大なホワイトボード”で、オープンに情報共有をする会社。同社が働き方を多様化してきたのは「100人いれば、100通りの人事制度があってよい」という考えによる。公平性よりも個性を重んじることで、一人一人の幸福を追求するようにしている。
草創期は長時間労働も続き、一時期は離職率が28%に上った。青野氏は危機感を感じ、従業員から上がってきた多種多様な要望に耳を傾け対話を続け、実現できることは実現していった。その結果、直近の離職率は5%前後まで下がった。その一方で業績(売上げ)は伸び続け、2021年は2010年前後の4倍以上になっている。また、顧客満足度、パートナー満足度も非常に高い(※日経コンピュータ誌による)。
「制度」「ツール」「風土」が働き方多様化の3要件だと青野氏は言う。「kintone」という情報共有ツールも開発・販売し、社内でも活用している。なお、特に“わがままをチーム力に変える「4つの風土」”が最も大切だとのこと。
① 理想への共感=共通の理想を作り、理想に共感して行動する
② 多様な個性を重視=多様な個性を尊重し、互いに活かし合う
③ 公明正大=オープンな信頼関係の基盤を作る
④ 自立と議論=自立心を引き出し、議論によって進捗を生み出す
これら4つの風土を醸成しておくと信頼基盤が社内にできて、多様な人たちが多彩な(わがままな)主張はするものの一つの理想に向かって頑張るチーム力の強い組織ができる。「石垣を作るように、個性を活かす」ことを意識している。
「働く」とは? それは周囲に価値を創造する、価値をもたらすことで、自分だけが価値を感じていることや会社勤めがすなわち働くことではない。そもそも“会社”は実在しないから、会社のために働く、会社の方針に従う……は間違い。実在するのは人間であり、人間に注目することで本質が見える、と青野氏は強調。
「企業やお金や国家は私たちの想像の中にしか存在しない。私たちは自分に役立てるためにそれらを創り出した。それなのになぜ、気がつくと“それら”のために自分の人生を犠牲にしているのか?」
(『ホモ・デウス』ユヴァル・ノア・ハラリ著より引用)
「幸福」とは? 心の幸せのための4つの因子は、やってみよう/ありがとう/なんとかなる/ありのままに、だと慶應大の前野隆司教授は提唱する。これに青野氏は共鳴しており、サイボウズではこれらを社内に散在させておきたいという。
業務内容は?/働き方は?/給与金額は?/といった自身の希望を定期的に書き出し、共有し、実現を支援する職場にすると幸福度は上がると考える。平等と幸福は別物だ。先述した“わがままをチーム力に変える4つの風土”を意識してほしい――と青野氏は締めくくった。
■特別講演②
成長戦略を支える健康経営
~ 2030年 共創ITカンパニーの実現を目指して ~
SCSK株式会社
代表取締役 執行役員 会長 最高経営責任者
健康経営推進最高責任者
田渕 正朗 氏
田渕氏が最高経営責任者を務めるSCSKでは、「サステナビリティ経営」は成長戦略そのものと捉えている。サステナビリティ、すなわち持続可能性は、
① 地球社会・環境の持続可能性への貢献
② デジタル技術の活用による「社会課題の解決」「新たな価値の創出」(同社事業の持続可能性と持続的な成長)
③ 社員・家族・パートナーの持続可能性
の3つに分解でき、③の持続可能性が健康であり、健康経営の推進なくして、同社事業の発展もなく社会や地球環境への貢献も望めないと考えている。
さらに、同社の3つの約束は
・人を大切にします。
・確かな技術に基づく、最高のサービスを提供します。
・世界と未来を見つめ、成長し続けます。
人を大切にする経営を徹底し、働き方改革を行い、社員一人一人の自己成長機会の創出(学ぶ文化の醸成)を意識している、と田渕氏は述べた。
スイスのIMD(国際経営開発研究所)が発表している2021年のデジタル競争力ランキングでは、日本は世界28位(調査開始以来の最低順位)。日本の企業ほかのDXへの取り組みは加速しているものの、まだ端緒についたばかり。
SCSKではグループが有するデジタル技術を活用し、顧客や社会との共創を進め、さまざまな社会問題の解決や社会が必要とする新たな価値の創出を通じて、「共創ITカンパニー」として顧客や社会と共に持続的な成長を目指す。
同社の仕事に求められる高い業務品質の維持、多様な能力と創造性の発揮には、健康課題への抜本的な取り組みが必要。「社員一人一人の健康は、個々人やその家族の幸せと事業の発展の礎である」という健康管理の理念も掲げている。
社員の健康に寄り添う施策としては、早期発見・早期対応で社員の健康管理促進/健康わくわくマイレージ(健康増進施策)の設定/健康リテラシーの重要性啓蒙とリテラシー向上に向けた社員の啓発/安心感をもって治療に取り組める環境の提供/健康に関する相談窓口・施設の開設などを行っている、と紹介した。
取り組みの成果としては、平均残業時間、有給休暇取得日数とも大きく改善(特にコロナ禍以前)しながら、営業利益は9期連続で増収増益を達成し(2020年度458億円)、業績も好調を維持している。さらには、各社員の行動習慣や健康指標も良い方向に変化し、外部からの評価も高まった。
健康経営推進のポイントとして田渕氏自身の経験を踏まえ
・経営トップ自らの実践、社員への継続的なメッセージ
・健康の維持・向上は長期戦、奇をてらわず愚直に続ける
・経営者の覚悟、健康経営は「成長戦略を支える」重要な投資
の3点が大切、とトップの意思、率先垂範の必要性を強調。
今後は、働きがいを軸とした人材マネジメント、健康経営を引き続き行いつつ、仕事を通じた人との繋がり~事業を通じた社会貢献~心身の健康と充実したキャリア、のループを通して働きがいと心の豊かさを大きく拡大する「Well-Being経営」を目指す、と語り講演を締めた。
2022年3月15日(火) オンラインにて開催・配信
撮影:今井 祐介
source : 文藝春秋 メディア事業局