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長崎の原爆投下直後の少年の写真に「私はいま、憤っています」草笛光子90歳が語る戦争のこと「空襲のたびに5歳の妹の骨壺を」
『きれいに生きましょうね 90歳のお茶飲み話』より#1 -
「疎開先では母は着物を一枚ずつ…」草笛光子90歳が自身にも問う「戦争が正しいと信じた責任はないのか」
『きれいに生きましょうね 90歳のお茶飲み話』より#2 -
「ボー マイニチ オトナチク チテルカ」…“ベランメエ”の桜花特攻隊長が、愛児に遺した優しい父親の言葉《野中五郎少佐》
『戦士の遺書 太平洋戦争に散った勇者たちの叫び』(半藤一利 著) -
「私の天性が暗愚であったため」…“マレーの英雄”があえて「虜囚の辱め」を受け、自決できない苦しみの中で処刑された理由《山下奉文大将》
『戦士の遺書 太平洋戦争に散った勇者たちの叫び』(半藤一利 著) -
「一人百殺、これ以外にありません」…米一粒の救援もなかった“玉砕の島”指揮官、最後の壮絶な訓示《栗林忠道中将》
『戦士の遺書 太平洋戦争に散った勇者たちの叫び』(半藤一利 著) -
「できるだけ長く苦しんで」…腸がとびだしあふれる血の中で破顔、10数時間後に息絶えた“特攻の父”《大西瀧治郎中将》
『戦士の遺書 太平洋戦争に散った勇者たちの叫び』(半藤一利 著) -
「遺体がゴム風船のように膨らんどった」原爆の熱線が人間の内臓まで破壊…死者14万人“広島原爆”で被爆した93歳男性が明かす“凄惨な記憶”
広島原爆の日・被爆者の証言 #1