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月に行くことは「娘の死」を覆い隠してくれない

 ニールは娘の死後ほどなく、自らの意志で宇宙飛行士への道を歩み始める。「娘の死の悲しみを振り払い、新たな人生を切り開くため」と説明すれば物語として収まりはいいが、ことはそう簡単ではない。宇宙飛行士になって月に行くことは、娘の死という事実を決して覆い隠してはくれないからだ。

 その一方で、アームストロング家は新たな子を授かる。妻のジャネットは子育てに熱中することに生き甲斐を見いだしているかに見える。いつまでも娘を喪った悲しみに暮れているわけにはいかない。それは人として、母として自然なことであり、子どものために求められることでもある。

 しかし、ニールの魂はいつまでも娘の周囲だけを回り続ける。惑星の重力に囚われ、逃れる術を失ってしまった宇宙船のように。夫婦のズレ、親子のズレは物語の中で徐々に鮮明化し、やがて明らかな不協和音を奏で始める――。

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©Universal Pictures

 こうした登場人物たちの心の旋律とは対照的で、かつこの映画を貫くもう一つの主旋律が、ロケットの奏でる圧倒的な轟音だ。

 かつてワシントンD.C.のスミソニアン航空宇宙博物館を訪れた際、最も印象に残った展示品は、米国で初めて地球軌道の周回に成功した宇宙船、「マーキュリー6号・フレンドシップ7」だった。中央ホールの最も目立つ場所に置かれたそれは、直径2メートルにも満たない鉄のカプセルに、申し訳程度にさまざまな補助的機器や計器板、パイロット用のスペースが備えられただけの代物だった。時代の最先端技術の結晶、というよりも、素朴ないかだ舟に例えるのがふさわしい。米国人は57年前、こんな小舟で宇宙という大海に乗り出したのだ。ニールがアポロ宇宙船で月を目指すのは、それからわずか7年後のことだった。

 地球の強大な重力を振り切るためには、小舟が自壊しかねないほどの莫大な推進力を与えることが必要であり、そのために用いられたのが巨大なロケットだった。マーキュリーを打ち上げたアトラスロケットは全高約30メートル、アポロ計画の際のサターンVロケットは全高110メートルに達する。

©Universal Pictures

 だが、この作品はロケットの威容や発射シーンのスペクタクルを再現するよりも、小舟に乗り込んだ宇宙飛行士たちの体験に肉薄することに全力を注ぐ。彼らはロケットがもたらす暴力的な振動と轟音、そして加速度にひたすら耐え続けるしかない。ようやく宇宙空間に到達してからは、機器の小さな異常が致命的な事態を引き起こす可能性に脅え、地球に帰還する際には宇宙船が摩擦熱で燃え尽きたり、地表に猛スピードで叩きつけられたりする可能性に脅える。それは、キリストの受難さえ連想させる。