平成の会見といえば、就任や結婚、優勝というおめでたい会見やインタビューから、辞任や引退という残念な会見、謝罪がいつの間にか釈明や逆ギレになっていた、などという会見まで様々あった。中でもその発言を聞くと、記憶の中から鮮明に浮き上がってくる印象的なものがある。

「平成おじさん」と親しまれて

「新しい元号は平成であります」

 平成という響きや文字からくる第一印象は、穏やかな落ち着いたものだった。平成は当時、官房長官だった小渕恵三氏の会見から幕を開けた。昭和64年(1989年)1月7日、小渕氏は新元号を発表すると「平成」と墨で書かれた2文字を掲げた。

ADVERTISEMENT

新元号「平成」を発表した小渕恵三氏 ©時事通信社

 昭和天皇が崩御された直後とあって、黒いスーツに黒いネクタイ姿、その顔に表情はなく、口調は淡々としていた。後に首相就任時に「冷めたピザほどの魅力しかない」とニューヨーク・タイムズ紙で揶揄されたほど地味で真面目な印象は、平成という元号の平らかなイメージと合っていたように思う。

 発表された途端、座っていた記者らはざわめき、ばらばらと立ち上がってカメラの前を横切って行く。その慌ただしさの中、額を持ったまま記者らの動きを無表情に眺めていた小渕氏が印象的だった。「平成おじさん」と親しまれた小渕氏は、平成を象徴する顔の1人だ。

カルト教団の底知れぬ怖さを象徴した会見

「これ見たらわかるでしょ、バカらしいですよ」

「麻原を殺す気ですか、今度は」

 こんなことがいったい、いつまで続くのか。平成7年(1995年)、メディアでは連日、オウム真理教の幹部だった上祐史浩氏による茶番のような論争が繰り広げられていた。

 誰が何をどう言っても、言葉巧みに反論することから“ああ言えば上祐”と揶揄されていた彼は、この日も抗議の手を緩めなかった。言いたい放題まくしたてると、手にしていた軽犯罪で逮捕された信者リストのフリップを「バン!」と叩き、いきなりポイっと後ろに投げ、さらに声を荒げたのだ。「攻撃は最大の防御なり」を地でいくような言動だが、注目されることを良しとするようなパフォーマンス性ばかりが目についた。

上祐史浩氏 ©文藝春秋

 だが教団幹部だった村井秀夫氏が、大勢の記者らの前で刺殺されるという衝撃的な事件が起きる。その時の彼の目や口調は、メディアへの敵意と憎悪に満ちていた。そして彼はこうも言った。「報道によって、犯人にまだなっていない人間を犯人と決めつけ、恨みや敵意を煽り、こういう結果に陥ったんじゃないのか」と。犯人ではない人間ではなく、“犯人にまだなっていない人間”と口走ったことで、教団の犯罪を認識していたと想像でき、カルト教団の底知れぬ怖さを感じさせた。