「よくもまあ、あんな土地に工場を誘致したものです。案の定、水害に遭って企業が大損害を被りました。工場を撤退させる企業が出かねない情勢で、自宅待機になった社員からは『職を失うのではないか』という不安の声が出ています」
福島県内の何人もの行政関係者に、このような話を聞いた。
それが取材の始まりだった。
県内最大の被害を受けた郡山市
台風19号は、10月12日夜に伊豆半島へ上陸し、13日に福島県から太平洋へ抜けるまでに、広範な範囲で被害を引き起こした。
死者・行方不明者は全国で100人近くにのぼる。福島県では都道府県で最多の約30人が犠牲になっただけでなく、大小河川の氾濫や崖崩れで県全体が被災した。
なかでも被害が大きかったのが同県郡山市だ。犠牲者はいわき市の8人、本宮市の7人より少ない6人だったが、経済的な損失を含めた被災規模は福島県で最も大きいと言われている。
それは、冒頭の行政関係者が言う「あんな土地」に誘致した工場が軒並み浸水したからだ。
150社以上が立地する中央工業団地である。
“過去50年間に特記すべき天災地変は皆無”のはずが……
同工業団地は、東北新幹線が停車するJR郡山駅から2~3キロメートルしか離れておらず、東京に直結した土地であることを売りにしてきた。
しかし、歴史をさかのぼれば、福島県を南から北に貫く阿武隈川と、その支流の谷田川に囲まれた「氾濫原」(市史)のような土地だった。
ここには戦争中、軍都を目指した郡山市が海軍の飛行場を誘致した。戦後は工業都市に方向転換した市が1964年から工業団地を造成した。
江戸時代は奥州街道の一宿場町にすぎなかった郡山が、約33万人の人口を抱え、福島県の3大都市の一角を占めるまでになった原動力の一つだった。
市は企業誘致に際して、「過去50年間に特記すべき天災地変は皆無」と宣伝した。ところが――。