文春オンライン

ついに死者も……2019年の香港デモが過去に比べて“ヤバい”理由

『13・67』の著者・陳浩基が語る

2019/11/18
note

1967年や2014年と較べて2019年のデモはどう違うか?

――陳さんは『13・67』で香港の現代史を描きました。物語の起点として描かれたのは(時系列が逆転した構成ですので作中では第6話に当たりますが)、1967年の反英暴動です。

 1967年は中国で文化大革命が始まった翌年です。文革に触発された香港市民が英国の植民地支配に反対する大規模デモ、左派反英暴動を起こしました。香港警察は暴動の鎮圧に尽力したことで英国の女王エリザベス二世から「ロイヤル(皇家)」の称号を与えられ、皇家香港警察(ロイヤル・ホンコンポリス)が誕生しました。

――現在とは左右正反対の図式だったわけですね。『13・67』は1967年から1997年の香港返還を挟んで、雨傘革命の前年2013年までが描かれています。1967年や2014年と較べて2019年のデモはどう違いますか?

ADVERTISEMENT

 一言で言えば、いまはもっと「ヤバい」です。いまは1967年当時と違ってインターネットの時代です。ネット上では様々な流言蜚語やフェイクニュースが飛び交っていて、なにが真実なのか誰にも本当のことがわからないのです。

©AFLO

 また、2014年の雨傘革命の時は市民対香港政府という構図ではありましたが、政府側が直接的に民衆の意見を聞く機会もあったので、そこには対話が存在しました。現在は市民の側にもはっきりとした組織がなく、みんなネットを見て三々五々集まってくるので政府側としても誰と対話したらいいのかわからないし、市民側も政府側もネット上の不確かな情報に惑わされて疑心暗鬼になってしまい、まったく対話が成立しないんです。

 また、雨傘の時は取締る側の警察の中にも、市民の側に立ってデモを支持するという動きもあったのですが、いまは完全に政府側になってしまって、市民対警察という構図になってしまっています。

事態を難しくしている理由は

――警察が市民と権力との間で板挟みになるという、陳さんが『13・67』で描いた状況がまたしても現実のものとなりました。しかも今回は警察とデモ隊との対立が非常に先鋭化しています。なぜこんなことになってしまったのでしょうか?

 事態を難しくしているのは、今回の騒動においてはっきりとした問題点、あるいはその答えというものが見えていないということがあると思います。

 そもそも逃亡犯条例改正のきっかけになったのは、香港人の学生カップルが台湾旅行中に男性が女性を殺害し、香港に戻った後で逮捕されたという事件です。殺人は台湾で行われたため香港の刑法では殺人罪で訴追することはできず、また香港と台湾の間には犯人を引き渡す条約がなかったため、犯人は女性のキャッシュカードでお金をおろした窃盗罪で香港で訴追され、殺人については罪を問われませんでした。

 これを受けて中国政府が香港政府に条例改正を働きかけたわけですが、香港の市民にしてみると自分たちとは関係のない一犯罪者が犯した罪で、自分たちの人権が侵害される恐れのある条例改正が降りかかってきた。さらにいつの間にか、自分たちの生活を脅かすような警察の暴力に晒されるはめになってしまった。そのことに対する怒りが大きいのです。

あらゆる情報の真偽が定かでない

――たしかに、逃亡犯条例改正案は廃案となったのに、市民側は「逃亡犯条例改正案の撤回」のほか「警察の暴力に関する独立調査委員会の設置」や「普通選挙の実現」などの「五大要求」を掲げて、デモは一向に収束する気配がありませんね。

 最近ネット上で、警察が殺人を犯し、それを自殺に見せかけたという情報が流れました。それも本当かどうかわかりません。あらゆる情報の真偽が定かでない。雨傘革命の時と違うのは、警察の暴力の激化とネットを介した流言蜚語がもたらす混乱ではないかと思います。

 雨傘の時はデモに主催団体があって、例えば参加者の人数などについても、どれだけ正確な数字かは別として主催者側からアナウンスがありました。いまはSNSを介して「何時にどこどこへ集合」という情報だけが流れて、終われば三々五々解散。誰も人数をカウントしていないので正しい数字は誰にもわからないのです。