去る3月28日、大阪市議会で大阪市営地下鉄を民営化する議案が可決、来年4月にも新会社に移行することになった。その大阪市営地下鉄の最初の区間である梅田(仮駅)~心斎橋間(現在の御堂筋線の一部)が開業したのは、いまから84年前のきょう、1933(昭和8)年5月20日のことである。その日は土曜日で、式典のあと、午後3時からの一般営業開始10分前に切符が売り出されると、各駅では一番乗りをめざす人々が押し寄せた。
すでにこのとき、東京にも東京地下鉄道の浅草~京橋前間(現在の東京メトロ銀座線の一部)が開業していたが、大阪の地下鉄は市が都市計画の一環として建設を進めた点で大きく異なる。根拠法規も、地方鉄道法(現・鉄道事業法)ではなく、路面電車と同じ軌道法に拠り、地上の御堂筋の拡張工事とあわせて建設が進められた。この計画を推し進めたのは、都市・交通政策の権威で東京高等商業学校(現・一橋大学)の教授から大阪市の助役となり、1923年から35年に亡くなるまで市長を務めた関一である。
完成した地下鉄の各駅のプラットホームは将来的に市内交通の幹線となることを見越し、18メートル級の電車が12両連結で運転できるよう、200メートル近い長さに設定されていた。また、淀屋橋・心斎橋の両駅はアーチ式の天井を持つ雄大なものとなった(和久田康雄『日本の地下鉄』岩波新書)。
このあと地下鉄は1935年に難波まで延伸、梅田の本駅も完成し、1938年にはさらに南へ天王寺まで延びた。NHKの連続テレビ小説『ごちそうさん』(2013~14年)でヒロインの夫(演じたのは東出昌大)が、大阪市の職員として地下鉄建設に力を注ぐさまが描かれたことは記憶に新しい。ドラマでは戦時中の大阪大空襲に際して、杏演じるヒロインが夫の言いつけにしたがい、地下鉄の駅構内に逃げ込み、さらには臨時に運転された電車に乗って梅田方面に避難した。この救援電車のエピソードは史実にもとづくものである。