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3.天安門の顔 王丹

 現在、元学生リーダーとして最も外部向けの発言や講演が多いのが王丹だ。もともと北京大学の民主派学生として学内サークル「民主サロン」を主宰。天安門の学生運動でも当初は中心的な立場にいたが、穏健な理論派でやや地味なキャラクターだったことがわざわいしてか、デモの後半にはすこし影が薄くなっていた。ただし天安門事件後、王丹は中国当局が出した「首謀者」学生21人の指名手配リストの筆頭に挙げられ、当局よりの立場からはデモの主犯としてみなされることも多い。

 やがて他の学生リーダーの多くが国外に脱出するなか、王丹は国内に残留。当局から2度にわたり投獄された後、1998年にアメリカのクリントン大統領の訪中の際に米中両国間の駆け引きの結果として釈放され、その後はアメリカにわたった。

 2009年から台湾に定住。現地の大学で助教授として働きつつ著書を執筆し、ときおりメディアにコラムを発表したりしている。教育者としては台湾人学生や在台湾中国人留学生からの評判がよく、本人のフェイスブックページに学生たちがしばしばコメントを書き込んでいる。台湾移住後は訪日の機会が増え、近年では2012年と2016年に東京で天安門事件を追悼する講演会を開いた。

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 2016年末、今後は活動拠点をワシントンに移し、中国の民主化を支援するシンクタンクの設立を目指すと発表。7月からアメリカに再移住する予定であると報じられている。

著書の表紙をかざる天安門事件当時の王丹の写真(左)と、台湾の学生が作成した王丹の「台湾さよなら講座」のビラ(右)。

4.「戦車男」王維林

 天安門事件を象徴する有名な写真と映像がある。1人の男性が4台の戦車の前に立ちはだかり、戦車も彼をひき潰すことができず停まってしまった光景を撮影したものだ。日時と場所は、武力鎮圧の翌日にあたる1989年6月5日の天安門広場付近。最もよく知られた一枚の撮影者は当時AP通信のカメラマンだったジェフ・ワイドナーである(ただし、ほかにも複数の撮影者や録画者がいる。下記の写真もそうしたもののうちのひとつだ)。

戦車に立ちはだかる「王維林」青年。存命ならば彼も現在は50歳前後か。 ©getty

 この写真の人物は欧米圏では「戦車男(タンク・マン)」の名で呼ばれているほか、事件直後に英国のメディアが「王維林」という名の19歳の学生だったと報じたことで、中華圏では一般にこの名で通っている。その後、この王維林は「中国政府に逮捕されて死刑になった」「投獄されて精神を病んだ」……などとも言われているが、実際のところはよくわかっていない。そもそも本当に王維林という名前だったのかも不明である。

 今年6月4日、台湾の複数の大手メディアが、香港のNGO「中国人権民主化運動情報センター」発の情報として、この人物が存命であると報じている。報道によれば、彼は後年に例のシーンの映像を目にして、自分が世界的な有名人であることをはじめて知ったとのこと。彼の本名は「王維林」とは別の名らしいのだが、中国が将来民主化する日まで名乗り出る気はなく、中国国内で普通の暮らしを送る気なのであるという。もっともこちらもどこまで信用していいのか、やはり誰にもわからない。

5.その他の人々

 他のリーダーたちは日本国内ではあまり知名度が高くないが、アメリカに亡命できるほどの天安門の主要な幹部については、キリスト教徒になって信仰の世界に生きているか、ビジネスで成功してブイブイいわせているかの、おおむね2パターンに大別できるようだ。

 天安門事件は非常にインパクトの強い出来事だった一方で、30年近くの月日が経ってしまってもいる。時間の流れの残酷さをしみじみと感じざるを得ない話ではあるだろう。