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逆戻りする世界

 主権国家と合理主義は、その意味で密接なつながりを持つ。そして合理主義の発達が、十八世紀後半の産業革命に結びつくのを思えば、ウェストファリア条約こそ「近代」の始まりを告げるものだったと言えよう。なおピューリタン革命が起きたイギリスも、王政復古と名誉革命を経て、十七世紀終わりには「近代」に順応する。

 フランス革命のような大動乱(革命自体は十年で終わるが、その後ナポレオンが暴れ回った時期まで含めると、二十五年にわたってヨーロッパを揺るがした)もあったものの、主権国家と合理主義を柱とする近代のシステムは、十九世紀までは安定的に機能した。しかし二十世紀に入ると、主権国家もまた「良き隣人同士」として共存することができなくなってくる。

 十七世紀後半から十九世紀にいたるまで、諸国家が争わなかったわけではない。だが二十世紀においては、総力戦の発想が生まれた結果、いったん戦争となったらとことん争わずにはすまなくなったのである。だからこそ第一次大戦の惨禍も大きくなったのだが、産業革命によって加速したテクノロジーの進歩は、第二次大戦にいたって核兵器の開発にまで行き着いた。

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 広島への原爆投下について知ったチャーチルは、「これこそキリストの再臨だ。彼は怒りの神として戻ってきた」と語っている。けれどもキリストが怒りの神として再臨するというのは、世界の終末が来ることにほかならない。ピューリタン革命当時、一六五〇年代半ばに起きると信じられた「黙示録の実現」は、一九四〇年代半ば、人間の手によって起こせるようになったのだ。

 こう考えるとき、国連憲章はずばり「第二のウェストファリア条約」と形容しえよう。もっとも再建すべき「世界」の範囲が、ヨーロッパ世界から文字通り全世界に拡大されたことを別としても、両者には重大な相違がある。

 ウェストファリア条約の場合、主権国家と合理主義という形で、世界再建の指針となるべき新たな方法論が存在した。前者は戦争抑止の方法論であり、後者は普遍的な合意形成の方法論ながら、第二次大戦後の世界には、いかに戦争の根絶や繁栄の追求を謳おうと、そのための新たな方法論が存在しない。国連による地球規模の紛争管理という理想が、アメリカとソ連(現ロシア)の対立によってあっさり形骸化したのは、必然の展開にすぎないのだ。

 なるほど、一九九〇年代はじめにソ連が崩壊した後は、アメリカが世界国家的な存在として国際社会をまとめあげると思われた時期もあった。いわゆる「グローバリズム」だが、これはアメリカに、かつての神聖ローマ帝国と法王庁を兼ねるかのような役割を期待する発想にほかならない。

 グローバリズムは、世界をウェストファリア条約以前のシステムに逆戻りさせる側面を持っていたのだ。だが、当のシステムがそもそも機能しえなくなったからこそ、「主権国家プラス合理主義」というシステムが台頭したのを思えば、「アメリカ一極支配による平和と繁栄」の夢がすぐに揺らぎだしたのも、ふたたび必然の展開であろう。グローバリズムにたいする最も顕著な抵抗が、宗教的原理主義に基づくテロリズムの形を取っている点など、ほとんど出来すぎではあるまいか。

 二十一世紀の世界が真に安定するには、「第三のウェストファリア条約」が必要とされる。ただしそのためには、主権国家以前のシステムと、主権国家のシステムの両方を克服できるような転換の方法論がなければならない。十七世紀半ば、ヨーロッパの人々が直面した問題は、決して他人事ではないのである。