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日本近現代史がわかる 最重要テーマ20満州事変 昭和六(一九三一)年永田鉄山が仕掛けた下克上の真実

関東軍の石原莞爾らと陸軍中央の永田鉄山ら一夕会による全満州軍事占領計画は失敗の危機に追い込まれていた……

2015/02/26
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若槻内閣総辞職前後の策謀

 このまま事態が推移すれば、次の定期異動(四月)で、永田・石原をはじめ一夕会主要メンバーは枢要ポストから一斉に外される可能性があった。それは彼らの企図の失敗を意味した。

 しかし、一二月一一日、若槻内閣が突然総辞職し、事態は急速に変化する。

 一〇月末、民政党で若槻首相に次ぐ位置にあった安達謙蔵内相は、満州事変に対処するため、政友会との協力内閣(連立内閣)案を若槻首相に提案した。

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 安達は内相として、職務上陸軍の動きなどの情報を警視庁からえており、当時の事態に強い危機感をもっていた(ただ安達の協力内閣案の真の意図が、軍を抑えようとするものだったのか、軍と協力しようとするものだったのかについては議論がある)。当初若槻は安達の意見に賛同していたようであるが、政友会との連立に否定的な井上準之助蔵相や幣原喜重郎外相ら閣僚の強い反対をうけて協力内閣案には否定的となった。安達はそれを了承せず、閣議出席を拒否し若槻内閣を総辞職に追い込んだ。当時首相には閣僚の罷免権はなく、閣僚が閣議出席を拒否すれば、政権運営が不能となり総辞職するしかなかったのである。

 若槻内閣・南陸相下で、動きを封じられていた関東軍や永田ら一夕会にとって、この内閣総辞職は絶妙のタイミングだった。それゆえ、この時の安達の不可解な動きの背景には、一夕会からの何らかの働きかけがあった可能性が考えられている。たとえば安達派の有力者中野正剛は一夕会メンバーと交流があった。

 一九三一年(昭和六年)一二月一三日、元老西園寺公望(さいおんじきんもち)らの奏薦によって犬養毅政友会内閣が成立。一夕会が擁立しようとした将官の一人、荒木貞夫教育総監部本部長が陸軍大臣となった。

 この時永田は、政友会の有力者小川平吉に、次のような書簡を出している。

 陸相候補として、南や金谷は、宇垣派の阿部信行前陸軍次官を推すかも知れないが、阿部では今の陸軍は収まらず、絶対に適任ではない。荒木貞夫教育総監部本部長や林銑十郎朝鮮軍司令官なら陸軍内部でも衆望があり適任だ、と。

 宇垣派の阿部を退け、荒木か林を陸相に、との趣旨である。永田ら一夕会は、宇垣派の陸軍支配を打破し、荒木らを擁立することによって、陸軍を一夕会の意図する方向に動かそうとしていたのである。小川は犬養への書簡で、この永田の意見を、陸軍要路の極めて公平なる某大佐からのものとして伝え、自らも荒木を最適任としている。

荒木の陸相就任で潮目が変わった

 政友会へは一夕会関係で永田・小川のルートだけではなく、鈴木貞一から党内有力者の森恪(つとむ)にも働きかけている。永田ら一夕会は、政友会への政治工作によって反宇垣派の荒木陸相実現をはかったのである。この荒木の陸相就任は重要な政治的意味をもっていた。

 荒木は陸相に就任するや、皇族の閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王を参謀総長にすえるとともに、翌年一月には、盟友の真崎甚三郎台湾軍司令官を参謀次長におき、以後真崎が参謀本部の実権をにぎることとなる。真崎もまた一夕会が支持していた反宇垣派将官の一人だった。

 荒木・真崎は、二月には、一夕会メンバーの小畑敏四郎を作戦課長に就かせ、軍務局長には山岡重厚を任命。四月、永田鉄山が情報部長、山下奉文が軍事課長に就任。小畑が在任わずか二ヵ月で運輸通信部長に転じ、後任の作戦課長には鈴木率道がつく。彼らはすべて一夕会員だった。そして宇垣派の杉山、二宮、建川、小磯らは中央から追われ、宇垣派は、すべて陸軍中央要職から排除された。陸軍における権力転換がおこなわれたのである。

 

 一方、荒木陸相就任直後、陸軍中央で、「満蒙」(北満を含む)は、逐次日本の「保護的国家」に誘導するとの「時局処理要綱案」が決定された。中国主権下での新政権樹立から、中国の主権を否定する独立国家建設へ、満蒙政策の大きな変化だった。また、関東軍の全満州占領方針も陸軍中央によって承認され、チチハル、ハルビンの占領をはじめ関東軍による北満支配が実施される。

 そして間もなく、犬養内閣は、満蒙は「逐次一国家たるの実質を具有する様之を誘導す」との、「満蒙問題処理方針要綱」を閣議決定した。独立国家建設方針が内閣の正式承認をえたのである。その直前、すでに満州国建国宣言は、関東軍主導のもと前黒竜江省省長張景恵を委員長とする東北行政委員会によってなされていた。

 こうして、永田・石原ら一夕会が意図した全満州の占領と独立国家建設は、陸軍中央の、さらには政府の容認するところとなったのである。またこれ以後、一夕会系幕僚が事実上陸軍中央を動かすことになっていく。

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