それでも標準治療が「絶対」のものでない理由とは?
ただし、診療ガイドライン、つまり標準治療は「絶対」のものではありません。たとえば、ある薬物療法が推奨されるとしても、年齢や臓器の状態、体質などによっては、その根拠となっている臨床研究の対象者からは外れていて、そのまま当てはまらないということが少なくありません。
あるいは、診療ガイドラインでは手術が推奨されない進行がんであったとしても、患者さんが強く手術を希望するという場合もありえます。実際に、こうした患者さんの望みに応えるべく、一般の病院では対応できないような、標準治療からは外れた大きな手術に挑む外科医も存在します。
逆に高齢者などでは、手術や抗がん剤治療を行うのが標準治療であったとしても、「治療でしんどい思いをするより、残された人生をできるだけ快適に自由に過ごしたい」という人もいるでしょう。このような場合も、標準治療を受けなければいけないわけではありません。
標準治療は確率的に見て「受けたほうが得することが多い治療」
そもそも、標準治療が「最良」と言っても、100%の効果が得られるわけではないのです。たとえば、前出の患者向けの乳がん診療ガイドラインには、「Q45抗がん剤治療(化学療法)は何のために行い、どれくらい効果があるのでしょうか」というクエスチョンがあります。
それによると、再発する運命にある人が1000人いたと仮定した場合、現在最良とされている「AC-タキサン療法」を受ければ、再発する人が445人減少するとあります。「治療をしない場合に比べて44%の再発予防効果があると考えられます」とありますので、非常に効果が高い治療だと言えるでしょう。
ですが、逆の見方をすれば、この治療を受けたとしても、1000人のうち555人は再発を防げないのです。再発したとしても、それまでの期間が延びる可能性もありますが、逆に「抗がん剤によって、体にダメージを与えただけ」という結果になる可能性も否定できません。
それに、同学会の「乳癌診療ガイドライン」2015年版によると、このAC-タキサン療法は、リンパ節転移のある患者さんの術後補助療法として推奨されていますが、推奨グレードは「B」とされています。
つまり、科学的根拠はまだ十分ではないので、積極的に推奨する「A」には格付けできないけれど、一定の科学的根拠があるので推奨するというレベルの治療なのです。
このように厳しいですが、「標準治療を受ければ、どの人もいい結果になる」とは言えないのが現実です。ですから、標準治療は確率的に見て、「受けたほうが得することが多い治療」と考えるのが妥当でしょう。
医師の経験を加味し、最後は患者本人が治療選択をするのが基本
では、こうした現実があることも踏まえて、標準治療をどう位置づけるのがいいのでしょうか。「自分や家族の治療選択を考える際の、『基準』として知っておくといいのではないか」というのが、私の考えです。しっかりした基準を持っておけば、自分が受けたい治療と比較検討するなどして、適切に考えることができるはずだからです。
そもそも、標準治療や診療ガイドラインが依拠している、「科学的根拠に基づく医療(EBM)」の考え方に従えば、「科学的根拠(エビデンス)」は参照すべきものではあったとしても、それだけで治療を決めるべきではなく、医師の経験や患者の価値観を加味して、最終的には患者本人が治療選択をするのが基本とされているはずです。
ですから、標準治療や推奨される治療について、十分に主治医から情報提供されて、それを理解したうえであれば、究極的には本人が「治療を受けない」という選択をしてもかまわないはずなのです。ですから私は、麻央さんや海老蔵さんの選択を責める気持ちには、まったくなれません(「がんの治療は受けるな」と言っているわけではありません、念のため)。
むしろ、患者が標準治療を拒否して民間療法に頼ったのだとしたら、主治医がどのようにコミュニケーションをとり、標準治療についてどんな説明をしたのか、また民間療法の施術者たちがどんな言葉で患者を惑わせたのか、そのことを明らかにすることのほうが重要だと考えます。
また、がんのような命に関わる病気の場合、診断された直後に勉強して、冷静に治療選択をするのはとても難しい面があります。ですから私は、診療ガイドラインなど病気の治療のことについて、健康なうちに少しでも学んでおくことが大切だと考えています。病気は他人事ではありません。明日、誰が病気になっても不思議ではないのです。