このままでは「怒」も「哀」も通り越して「無」になってしまう
7連敗を喫した日、筆者は名古屋市内の居酒屋のテレビで阪神との試合を見ていた。延長になって田島が福留にカーンと打たれた瞬間、店内から「ああ」と小さなため息が漏れた。またか。また負けるのか。負けた瞬間はテレビを見ていた店内の全員が無反応だった。連れがいる人はすぐに次の話題を探していた。
その日、名古屋の繁華街をぐるぐると歩き回ったが、ドラゴンズのユニフォームはおろか、キャップもTシャツも見ることはなかった。ドラゴンズの痕跡は何一つ見つからない。この街にはフランチャイズの球団なんかないんじゃないかと錯覚するほどだ。対戦相手の阪神のユニは何人も見た。なぜか広島のユニを着ている人も一人見た。きっと広島ユニが誇らしいのだろう。
落合博満元監督が語った「勝つことが最大のファンサービス」は至言だった。稀代の名監督は、名古屋人の気質さえ見抜いていた。信長・秀吉・家康の三英傑を生んだ土地の人たちは、勝ち戦は好きだが負け戦を愛でることが苦手だ。最近は球団もファンサービスを頑張っているが、グラウンドで盆踊りをするイベントだって、勝った試合の後と負けた試合の後では参加者の数が段違いなのは一目瞭然である。
このままなら、ドラゴンズファンは「怒」も「哀」も通り越して「無」になってしまう。ならば、ドラゴンズには勝ってもらうしかない。“神宮の惨劇”をバネにして、夏バテにも負けず、8月から勝ち進んでもらうしかない。
チームにできることはまだあるはずだ。日本ハム・谷元の獲得は、球界の寝業師・根本陸夫の愛弟子である森繁和監督の面目躍如だった。これでブルペン陣が厚みを増すし、又吉を先発に戻すことだってできる。
一番気になるのが与四死球の多さだ。現時点で与四死球378はセ・リーグ6球団でぶっちぎりのワースト。“神宮の惨劇”初戦の25日の試合では実に与四球11だった。そりゃ負けるよ。チームの与四死球数は、ここ数年低レベルで推移している。年間で合計369だった2011年が遥か彼方で霞んで見えない。友利結、近藤真市両投手コーチは大変だろうが、早急に改善してもらいたい。どうしてもうまくいかないならコーチの配置転換だってアリだ。あの巨人でさえ配置転換を断行したのだからドラゴンズにできないことじゃない。
あとは高橋周平だよ、周平。連敗中、「周平さえいれば……」という声がほとんど聞こえなかったのはホントにヤバい。「4代目ミスタードラゴンズは京田」なんて声も出ているが、背番号3が泣く。「今さら活躍しても遅い」なんて言わないって約束するから、頑張ってくれよ。
連敗から脱した日、名古屋の実家の近くの夏祭りに出かけたら、ドラゴンズの帽子をかぶっている男の子を一人だけ見かけた。人出のわりにはとても少ないが、なんだかとても嬉しくなった。彼もこの日の勝利が嬉しくて、意気揚々とドラゴンズの帽子をかぶって出かけたんじゃないだろうか(親に「かぶっていけ!」と言われただけかもしれないが)。ドラゴンズファンの子どもたちを失望させちゃいけない。この小さな芽を育てて、また名古屋の街がドラゴンズのキャップであふれかえるようになることを願っている。そのためには、何があっても、ドラゴンズは勝つしかないんだよ。
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