9つの資産で構成される世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」には、5つのグスク(首里城、今帰仁城、勝連城、座喜味城、中城城)が含まれています。グスクとは、奄美諸島から沖縄諸島、宮古島、八重山群島などに築かれた沖縄地方の城のこと。本土の城とは一線を画し、外観や築かれた時期だけでなく、御嶽(うたき)と呼ばれる拝所があるなど、構造や存在意義が異なります。
沖縄地方では、14世紀中頃から、按司と呼ばれる地方領主が地域支配拠点としてグスクを築いたとみられます。按司たちが抗争を繰り返し、3つの勢力が拮抗する三山時代(北山、中山、南山)が到来。これを1429年に統一したのが、中山王となった尚巴志でした。尚巴志により琉球王国が誕生し、国王の在所とされたのが首里城でした。今帰仁城は、尚巴志が攻め滅ぼした北山王の居城。滅亡後も琉球王府から監守(役人)が派遣され、1609年に薩摩藩の島津氏に攻められるまで存続しました。
今帰仁城攻めで功績を挙げた護佐丸が築いたのが、北山監視のための座喜味城と、勝連城を居城とする阿麻和利の牽制を目的とした中城城です。もともと今帰仁城主の血縁で読谷山の按司だった護佐丸は、中山王の下に入り、琉球王国の要職に就いて沖縄本島中部地域を支配した人物。築城名人ともいわれます。
焼失しても変わらない、首里城の価値
令和元年(2019)10月、首里城の正殿をはじめとした主要な建物が火災により焼失したのは記憶に新しいところです。沖縄は昭和20年の沖縄戦で壊滅的な被害を受け、とくに地下に陸軍総司令部が設けられた首里城は、砲爆撃を受けて灰燼に帰しました。琉球王国の歴史や文化を紐解く資料すら焼き尽くされた沖縄において、首里城の再建は、地道な調査・研究をもとにした英知と努力の結晶であり、沖縄の復興の歩みそのもの。沖縄県民にとっては、地域の分身のような存在であり、今回の火災は身をえぐられるような思いがあったことでしょう。
正殿は平成4年(1992)に復元されたものですから、建物自体が世界遺産だったわけではありません。沖縄は15世紀から明治の廃藩置県まで、琉球王国という独立した国家が約500年も存続し、独自の歴史と文化を育んでいました。琉球国王の居所であった首里城は、その中心となる場所。端的にいえば、琉球文化が育まれた首里城跡、つまり首里城という存在が世界遺産なのです。地下に残る石積みなどがその対象ですから、復元された建物が焼失しても世界遺産としての価値が失われることはありません。