「スポーツに政治を持ち込むな」
「日本人なのに」に次いで見られたのが、「スポーツに政治を持ち込むな」「プロなら仕事を全うしろ」「周囲に迷惑をかけるな」だった。これらは人種差別の深刻さを理解しない者が、社会的に不利な立場にあるマイノリティの主張を和を乱すものと捉え、歯を食いしばって耐えろ、そうすれば乗り越えられると精神論で諭すものだ。オーソリティ(権威や権力)に逆らえない付和雷同社会に生き、教え込まれた勤勉文化を最も尊いものとする自身の姿を省みる余地は、そこには見られない。
アメリカとて平時は上記3つのどれもが当たり前である。特に巨額の収入を得る代償として成績が振るわなければ解雇やランク外となるスポーツ選手は「仕事の全う」に全力を注ぐ。ただし、それは「時と場合による」のである。
人種差別はプロ意識以前の、人間の在り方そのものに関わる問題であり、特に警察による黒人への暴力は命を奪い取るものだ。同胞が次々と命を落としていく中、「プロだから」「ファンへの迷惑になるから」と声を上げず、社会改革を訴えないアスリートは、では、スポーツ・ファンに一体何を伝えようとしているのか。
実のところ、今回の一連のスポーツ試合ボイコットは大坂選手が始めたものではない。事件は8月23日にウィスコンシン州で起きている。同日の夜には現地で抗議デモが起こり、翌日には銃撃の瞬間を捉えた映像がSNSで一気に拡散した。
BLMは自身と身内を「殺されない」ための運動
25日、NBAのスーパースター、レブロン・ジェームズ選手は試合後に事件について質問され、以下のように語っている。
「黒人男性、黒人女性、黒人の子供、我々は恐れている。(その日に出会うかもしれない)警官の機嫌が良いのか悪いのか、知るよしもないからだ」
アメリカの黒人市民が抱える警官への慢性的な恐怖が滲み出た言葉と言える。今年5月にはジョージ・フロイド氏が警官に首を8分46秒押さえ付けられて死亡、大規模なBLMデモが全米で起こり、現在も続いている。先立つ3月、警察の捜査ミスで寝室に踏み込まれ、射殺された女性ブリオナ・テイラー氏の事件も今、大きく取り上げられている最中だ。
こうした警察の暴力はスーパースターとなったジェームズ選手や大坂選手にはおそらく起こらないと思えるが、彼らの親族や友人知人には十分に起こり得る。黒人にとってBLMは社会貢献である以上に、自身と身内を「殺されない」ための運動なのだ。これがアメリカの現実である。