「名人を失冠してから少し時間が経って……」
対局には、陣屋所蔵の名盤が使われている。桐蓋の裏には“昭和28年大山康晴王将”の揮毫。陣屋事件の翌年、第2期王将戦で升田幸三から大山がタイトルを奪取したときのものだ。以来、数多くの名棋士がこの盤の前に座ってきた。
モニターに映る対局室の光景を観ながら、先崎が言う。
「脚付きの榧盤の値打ちが、大暴落しちゃったんだよね……。今は畳の部屋が少ないから、家で指すのに向かない。昔は生活に即していたんだけどね。私も5年ほど前から、研究は机の上に板盤を置いてやっていますよ」
昭和の頃までは将棋・碁盤の製作・販売をする店は、東京都内だけでも20店舗以上あったといわれる。現在は5~6店舗を残すのみになった。
豊島の積極的な指し手が続く。開始から31手を過ぎて、まだ持ち時間を14分しか使っていない。対して永瀬の消費時間は70分を超えた。
豊島「名人を失冠してから少し時間が経って、割とスッキリした気持ちで臨めました。事前に決めていた展開だったので、研究範囲外に入るまでは早く進めるつもりでした」
豊島が名人を失ったとき、その立ち居振る舞いの立派さを報道陣は賞賛した。失意や悔しさを表すことなく、関係者への礼節を尽くした。だが失冠から次の対局に臨むまでには、余人には計り知れない心の過程があっただろう。
雨音が響く中、永瀬が長考に沈む
日差しが出てきたので、庭園を撮影するために外に出た。樹齢170年の楠木や300年の椎木がある。朝方降った雨で、木立の中は湿度が高い。カメラのレンズが白く曇った。
陣屋の玄関から庭園を抜ける小径の先に、来客の時に鳴らす陣太鼓が下げられている。丁度、着物姿のスタッフが宿泊客の見送りに出ていた。凛とした立ち姿のまま、客の背を見つめている。
受け継がれてきた伝統の中で、育まれた“もてなしの心”。将棋のタイトル戦は、そうした文化との融合なのだと感じた。
この日は天気が移ろいやすく、正午近くに雨が降り出した。豊島の攻めは止まない。長時間のタイトル戦で、午前中にここまで激しい戦いになることは少ない。雨音が響く中、永瀬が長考に沈む。
「このまま豊島君の攻めが決まれば、打ち上げが早くなる(笑)」
本シリーズで長手数の将棋が続いたのを指して、先崎がジョークを飛ばす。ただ、今はコロナウイルス対策で終局後の宴席はない。