スタッフにも名物の「陣屋カレー」が出された
永瀬が考慮中のまま昼食休憩に入る。午前中で35手。豊島の消費時間はわずか24分。対して永瀬はすでに2時間を超えた。評価値はわずかに豊島有利に触れている。だが勝負の行方はまだ全くわからない。
昼食はスタッフにも名物の「陣屋カレー」が出された。70畳の宴会場にテーブルが3列に並べられている。1つのテーブルにつき1名、向かい合うことなく食事できるように配慮されていた。サラダ、小鉢とともに、味わい深いカレーをいただく。
休憩後、永瀬は着物からスーツに着替えて現れるのだろうか。多くの棋士はタイトル戦では着物姿で通す。永瀬は本人のこだわりから、途中で着替える。ニコ生の視聴者からは、そのタイミングが注目されるようになった。
果たして、叡王はスーツ姿で現れた。豊島より先に対局室に入り、盤の前に座ると腕を組み考える。眉間に深いシワを寄せる。間もなくマスクを外した。
棋士が着物姿でタイトル戦に臨む姿を、期待しているファンは多い。以前中堅の棋士と話していたときに、永瀬に対して「タイトル戦の品格を落とさないためにも、着物姿で通すべきだ」という意見も聞かれた。こうした声を本人が感じていないはずはない。
定刻になったが、永瀬は指さない
永瀬の普段の言動は、謙虚で礼儀正しく、人に対する敬意を感じさせる。彼が棋界の意見に反しても対局スタイルを変えないのは、何よりも将棋と真摯に向き合っているからだと思う。対局に悔いを残さないために、必要以外のパフォーマンスはとらない。
一流のスタイルだと思う。
周りが自分をどうみようと、信じた方法をとり続ける。ブレない強さ。
昼食休憩後は撮影が許される。豊島が入室して座った。定刻になったが、永瀬は指さない。体を前後に揺らしながら考える。腕を組み、背筋を伸ばして静止する。まだ指さない。豊島はその間にうなだれるような姿勢をとっていた。相手の指し手を待つ間、己の力を温存しているようだ。
控え室に戻ってモニターを見ると、永瀬はすでに上着も脱いでいた。先崎が頬を緩める。
「彼はスーツの方が好きなんだろうねえ。私はタイトル戦をスーツでやることに抵抗はないです。ただスポンサーから要望があれば、それを尊重するのは棋士として当然だと思います。ファンの人が贔屓の棋士の格好いい姿を見たいというなら、そうした声も反映されたものになるべきでしょうね」
永瀬は考え続ける。豊島が盤上に残した1三歩から、昼食休憩を挟んで2時間が過ぎた。
写真=野澤亘伸
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