文春オンライン

「日本を常任理事国にしたかった。でも…」元国連事務総長が“退任から10年”で打ち明けた内幕

『世界の知性が語る「特別な日本」』より #1

2021/10/13

 緒方を観察していて、その事がよく分かった。ふとジュネーブから消えたと思うと、ワシントンでCNNテレビの人気キャスターとしゃべっている。すでにクリントン大統領(民主党)と会っているだけでなく、連邦議会を牛耳る共和党のタカ派重鎮とも会談済みだ。アメリカを説得できなければ、国際機関は動かせない。(当時はまだ世界2位の経済大国だった)日本のマネーだけではダメだ。アメリカを動かすには大統領だけでなく、連邦議会を味方に付けなくてはならない。さらに強面議員でも恐がるのが、票を持つ大衆を動かすメディアだ。

 常套手段だが、常人ではこれら三つを手玉にとれない。緒方は頻繁にワシントンに飛んでいた。「政策決定過程」のダイナミックスを知っているからだ。傑出した実践的知性だと思った。

 普通に記者・取材先の関係で緒方と接していたが、実は少し特別な関係があった。緒方は五・一五事件で暗殺された犬養毅のひ孫である。私の勤め先の共同通信社の当時の社長、犬養康彦は毅の孫だ。それだけでない。康彦の姉で評論家の犬養道子(1921~2017)は、当時ジュネーブ郊外のフランス側国境地帯の町に住んでおり、時々わが家に立ち寄ったりすることもあった。あるときは、居間でくつろいでいた道子あてに、突然緒方からわが家に電話が入り、二人が歓談するのを脇で聞いたこともあった。

ADVERTISEMENT

 話がそれた。

 緒方がいかに密接にアメリカと連携していたかをまざまざと知ったこともある。あれはルワンダ紛争の時だったかもしれない。ある夕、UNHCR本部に所用で出向いた。職員の退庁時刻はかなり過ぎており、エレベーターホールは閑散としていた。ひとり中年の女性がエレベーターを待っていた。横に並んで、ふと顔を見ると数年前のワシントン駐在時代に取材でよく会った米外交官だった。次官補(日本外務省なら局長)に昇格していた。

「何しているんですか、ここで」と尋ねると、彼女は、部下数人とともにすでに数日にわたってUNHCR本部で仕事をしているという。局長級が長期出張して、緒方とともに紛争対策に当たっている――。他の国連安保理有力国に知られたらまずいのではないかと思ったが、おそらく手立ては講じていたのだろう。アメリカが操っているように見えて、実は緒方がアメリカを使っている、という構図に違いなかった。

緒方貞子さん ©AFLO

アメリカに嫌われた“不運な事務総長”

 そんな緒方がUNHCRを率いていた時代の国連事務総長の一人が、エジプト出身のブトロス・ガリ(1922~2016)だ。やはり学者出身で、国際法の専門家だった。ガリは不運な事務総長であった。1期5年だけで任期を終えたのは歴代で彼だけである。在任中死亡した者もいたが、普通はみな2期10年を務めている。ガリはアメリカの反対で2期目に入れなかった。アメリカをうまく操れず、嫌われた。緒方とは真逆であった。アメリカ国内の政争に巻き込まれたようなところもあった。

 だが、ひょっとしたら、ガリの日本への過剰な期待もアメリカに疎まれた背景ではなかっただろうか。明確な根拠はなかったが、そんな思いも頭の片隅をよぎった。当時の日本はいずれ経済力でアメリカを追い越すだろうと見られていた。

 この人はなぜ、あんなに日本に期待し、応援してくれたのだろうか。直接会って尋ねてみたいと思ったのは、ガリの退任後10年ほどたったころだ。