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銃撃、事務所へのダンプ突入、組員ら8人が死亡…6代目山口組“分裂抗争”がついに迎えた「最終局面」

銃撃、事務所へのダンプ突入、組員ら8人が死亡…6代目山口組“分裂抗争”がついに迎えた「最終局面」

2022/01/09

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 社会, 働き方, ライフスタイル

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分裂の原因は人事とカネ

 さらに注目されるのは、6代目山口組から「山健組」や「宅見組」といった5代目体制を支えていた中核組織が離脱したことだ。

 山健組はかつて、「山健組にあらずんば、山口組にあらず」とまで言われた保守本流の最大派閥だ。戦後、神戸の地方組織に過ぎなかった山口組を全国組織へと拡大させた3代目組長の田岡一雄の下で、長く若頭を務めた山本健一が創設した団体である。並んで宅見組は5代目時代の若頭、宅見勝が結成した名門だ。いわば経済ヤクザの走りである。

 今回の分裂の原因は人事とカネと見られている。山口組は5代目に山健組出身の渡辺芳則が就いたが、2005年8月に名古屋市に拠点を構える「弘道会」出身の司忍が6代目に就任。すると、若頭には別団体の領袖を据える慣例を破って、同じ弘道会の高山清司を指名するなど、人事を牛耳るようになる。

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 さらに上納金徴収の圧力も強まった。2次団体を率いる「直参」と呼ばれる直系組長は毎月、約100万円を納めていたが、次第に盆暮れや司の誕生日に、5000万円や1億円の上納を強いられることも珍しくなくなった。水や石など日用品の強制販売でも締め付けられた。

困窮を極める直参たち

 5代目時代には山健組と弘道会が二大派閥とされていたが、6代目体制になると徐々に弘道会一強体制となり、「名古屋支配」が如実となった。暴力団対策法(1992年施行)の相次ぐ改正で規制が強化されたほか、2011年までに全国で整備された暴力団排除条例によってシノギが困難になってきたなか、多額の上納金を求められる直参たちは困窮を極めるようになっていた。

 ここで不満を募らせていた一部の直参にとって、転機となる事件が起きた。2010年11月、ナンバー2の高山が恐喝容疑で京都府警に逮捕され、懲役6年の実刑判決が確定し、2014年6月に収監されたのだ。6代目山口組の運営を取り仕切っていた高山の収監は、反主流派にとっては袂を分かつ絶好の契機となり、翌年、山健組などが決起し分裂した。